フランス学生ビザ更新の悪夢①
6月にとうとうなってしまった。
学生Visaは語学学校分(8月末まで)しか取れず、9月からのジュエリー学校分は自分でパリ県庁で更新するよう在日フランス領事館で言われたのだ。
フランスの行政システムはずさんで時間がかかるという情報はネット等で知っていたので、嫌な予感。
フランス領事館の男性によると、9月までのVisaになっているので、6月から更新すれば良いとのことで、6月は私にとっての魔の月という認識でいた。
色々調べた際
「電話で予約を取っても「そんなの知らない」ととぼけられることが多く、結局は出向いてしまった方がその場で予約を取れて早い」
とどこかで読んでいたので、まずはパリ県庁に行ってみようと思う。
しかし、Googleで「パリ県庁」と検索しても出てこない。
「フランス ビザ更新」で検索すると、在日フランス大使館のページが出てくるが、何故かフランス警視庁のリンクが貼ってある。
ネットの画面を覗き込んで夫「じゃあ、パリ警視庁じゃない?」とのこと。
「県庁」と「警視庁」は違うだろ!っとツッコミをいれつつ、普段通り「そんなもんだよ」と夫になだめられる。「そんなもん」じゃないと思うんですけど?
警視庁のページに行くと、たしかにVisa関連の情報が載ってる。フランス語で。
これフランス語できないと無理じゃん。
外国人に優しくない。
で、「ビザ更新」のような項目を見ると、どれだ?
夫がまた横から「ここじゃない?」と見方を教えてくれる。なんでわかるんだ?
どうやら、登録されてる学校なら学校経由でVisa更新ができるようだが、そうでない場合はネット上で予約をとらないといけないとのことで。
全部入力してみると、番号が合わないなどなど。
OFII(移民局)のネットで登録した時の番号を入れたら、次の画面に進めた。
しかし、国籍を選択し、次の画面に行くと、下記のようなメッセージが表示される。
5,6回試すと別のメッセージが出るも、言いたいことは「ネット上では予約が取れない」ということのようだ。
とりあえず、午前10:00頃パリ「警視庁」に行ってみた。
パリ警視庁に行くための橋が封鎖されてる。
「ビザ更新したいんだけど」と話すと「紙は?」と言われる。
「ないけど、、、」と言うと、警察の女性&男性笑って
「じゃあ入れないね」とのこと。
まだその場で粘ってると男性「じゃあ3ユーロね」と言っていた気がするが、取り敢えず入れて欲しくて、その場で困り顔で佇む。
「わかったよ、無料だよ」と男性、どいてくれる。
もう、小雨も降ってるし早く入れて欲しい。
警察に入り、荷物検査。
受付でビザ更新したい旨を伝えると「予約とってる?」と聞かれる。
「いえ。でも必要書類を知りたいんです。」と伝える。
「じゃあ窓口1番ね。」とのこと。
廊下を歩いて行くと長蛇の列。1番っぽいので並んで15分ほど待つも、列が近づけば近づくほど、ビザ更新用の窓口ではない気がしてくる。ドア前には”Remise votre visa”とあり、remiseを辞書で引くと、なんと「割引」!どういうこっちゃ。
その手前が窓口1番。でもドアの表示が”Voyage”と書いてあったり、なんだか召喚状がないと入れないっぽい?
よく分からん。
幸い、自分の並んでいた列で女性二人が英語で話しているので、
「すみません、この列ってなんですか?」と聞く。
「あなたのVisaをremiseするためよ」
だから、remiseがイマイチよく分からないんだってば。質問を変えよう。
「ええと、ビザの更新ってどこでできるかわかります?」
「それなら、後ろの2番窓口よ!ここをずーと突き当たりまで歩いて左だから。」
ありがたい。
その2番窓口で受付で「ビザ更新の必要書類と予約がしたいんです」と伝える。
「ここでは予約はできないわよ。電話かネットね。」と、説明の紙を出して電話番号を蛍光ペンで印つけてくれる。
「ネットでやってみたんですけど、うまくいかなくて」
と伝えると
「じゃあ電話ね。まあ申請する人が多いから繋がりにくいかもしれないけど」とのこと。
じゃあ、家に帰るか。
3430に電話。フランス語しか音声なし。覚悟する。
とりあえず、ビザ更新のメニューを選んで行くと、2→2→2。
最後が分からない。「住んでる道路の番号を入力しろ」的なことを言われたので、よく分からず自分の住んでる区の番号15を入れる。
「お電話ありがとうございます。しばらくお待ちください」という音声の後、しばらくすると電話が自動的に切れてしまう。
電話で予約取れないと終わりじゃん!
6回ほど試したけど同じ結果。
自動音声の最後のセリフ、“le numero de department”とか言ってた気がして、そのままフランス語でネット検索。出てきた!パリは75らしい。
知らねー!
これで試すと、待たされることは待たされたけど、繋がった!!
しかし、フランス語早口!!
しかも訛ってる!!
大ピンチ。
「ネットで予約とらないとダメよ」と言われたので、また「うまくいかなかったんです」と言うと、「じゃあメアド教えて」
「ん?私のメアドですか?」
「コミュニケーション取ろうと思ってるだけよ。はい、メモして」
あ、メアド教えてくれるのね。
しかし、アルファベットと数字と記号をフランス語で聞き取るのは苦難の技。
何度もフランス人の口癖である「分かりません(Je ne comprend pas, ジュヌコンポンパ)」を繰り返し、ようやく長いメアドを聞き出す。
pp-pdg-6b-reduction-etudiant-chercheur@interieur.gouv.fr
復唱。
合ってるみたいだ。
さて、今度はネットでビジネスメールの書き方検索。
なんとか書き終えて送付。
すぐに返ってこないので、成功!
やったー!!
すごい達成感だ!
ううん、今日の午前中いっぱいかかったけど、こんなもんか。
思ったよりマシだったな。
しかし、3分後。
「アドレスが見つからなかったか、メールを受信できないアドレスであるため、メールは配信されませんでした」
ああああああああああああああああああああああああああああああああああ
もうどういうこと!?
メアド一部変えてみたり、Gmailからじゃなくて、iCloudメールからやってみたけれど、ダメ。
ついにもう一度3430に電話。さっきと同じ女の人が出て、同じ説明をされる。
「あれれ、変ですねえ。さっき多分言われたのと同じアドレスに聞こえるんですけど、メール送信できなかったんです」と片言フランス語で必死に伝える。
「変だけど、まあ仕方ないわよ、これがアドレスなんだから。後はネットでしか予約取れないし」
「じゃあ、どっか私が出向けるところあります?」
「◯◯大学ね。まあそこでVisa更新はできないけど」
「じゃあ最後の質問なんですけど、ネット画面の「番号」って、Visaの横に書いてあるヤツですよね?」
「外国人留学生なら99を入力すればいいけど、そうよ」
「移民局に登録したときのレファレンス番号じゃないですよね?」
「違うわね」
「じゃあほんと困ったな。どうしようかな」と片言フランス語で呟いたまま、私は無意識のうちに黙ってしまった。
「一旦切るわよ。まあまた出来なかったら電話してよ」と言われてしまう。
諦め切れない。
語学学校に行く電車の中でも気になって仕方ない。
ネット予約のテクニカルサポートは誰もしてくれないこと、ネット予約をしないといけないの一点張りである、この状況を鑑みると相方のパソコンや、私の携帯からも操作が出来ないかどうか試してみるしかないかな。
帰宅して早速、相方のパソコンにスイッチを入れる。
やっぱりダメ。
番号も、自分のVisaに載ってる番号、その下に載ってる一桁多い番号、移民局のレファレンス番号、99を試してみるも、どれもダメ。
もうどうしたらいいか分からない。
ビザ更新が始まってすらいない段階でつまづいている。
やり方をStepで記載するなら
夫が帰宅し夕食の席についた途端、涙が溢れてきた。
誰も助けてくれない。
一人で戦ってる。
こんなの、もっと簡単にできるはず。
時間を取られる価値もないことで時間と労力をとられている。
大げさだな、と自分で思う。
今、生理直前かな?
そうかも。
けれど、ホルモンの問題は別にしても、かなり追い詰められてる。
家にいてもアパートが面している道路からフランス語が聞こえてきたりして、フランスにいることを常に嫌でも認識させられる。
もうウンザリだ。
少しはフランスから逃避させて欲しい。
日本食材だって、そう簡単には手に入らないし、入っても馬鹿高い。
まあだからといって、日本にいた時もホームに感じていたわけじゃない。
常に馴染めてなくて、無意識に日本という国を心の中で非難していて「結局私は外人なんだ」という結論に落ち着いていた。
だから日本に帰ったって、精神的な居場所はない。
絶望的な生理前夜だ。
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パリでキャンプ - Camping de Paris
念願のパリでのキャンプ第一弾はブローニュの森のCamping de Paris。
ブローニュの森は自宅から歩いて40分。今回は行けるところまで地下鉄とバスを乗り継いで行く。50分ほど。
ちなみに夫によると、そのブローニュの森でテニスの全仏オープンが丁度やっているとのこと。バス停の周りは綺麗なスーツに中折れ帽の男性や、サンドレスに麦わらつば広帽子のご婦人など、いつもは見ないような優雅な高級層。バスの車窓からスタジアムが見えたけれど、お洒落な人でにぎわっている。
キャンプ場は森の西の端にある。
セーヌ川に面しているキャンプ場とのことだったけれど、生垣的な役割をしている木々が高くて見えない。
予約はWeb上で、辞書を引きながら対応していた。
受付に入った瞬間、フランス語でチェックインしなければいけない現実を思い出し、緊張。しかし明らかに外国人顔の夫と私を見て、受付の女性が英語で挨拶してくれる。最初のピンチを逃れた!
カフェやレストラン、ミニスーパーマーケットの説明、園内マップも説明してくれた。
テントにかけるタグをもらって、指定された園内の端っこの場所へ。
どうも、コテージを建てる以外に空いている場所をテント用にしているらしく場所が狭い。
しかも、15:00時点ですでに10組ほどテントがあった。狭い、、、
ということで、夜遅くまでうるさいかもしれないのを覚悟し、カフェ裏のスペースへ。
そこもすでに10組ほどテントがあったけれど、地面が平らだし、さっきよりマシ。
なんか公園でキャンプしている感・家出感が満載だけど、まあ仕方ないか。夫にテントとターフを建てつけてもらう。
皆さんのテントはコンパクトなものが多く、日本のアウトドア感覚でターフをはるとスペース取り過ぎ感があったけれど、夫が最大限の努力でコンパクトめに設営。自分のテント区画も区切られていないので、どこにどうテントを張ってもよく、新鮮。やっぱ公園か。
園内マップを再確認。どうやらこのキャンプ場を起点に、パリ観光をする人が多いようだ。
園内のほとんどは元々建てつけられてるコテージ。一泊160ユーロくらい。家族連れには良いかも。残りはキャンピングカー用のスペースは広かったけれど、ほぼ埋まっている。繁盛しているキャンプ場。
もらったマップの内容がいくら読んでも頭に入ってこないので、よくよく見ると、各項目フランス語のタイトルで、説明はドイツ語!!わかるはずがない。受付の人、英語を話してくれて良かった!!
夫と少し散策。スーパーはコンビニのような品揃え。値段はそこまで高くない。食料品やティッシュやボディーソープを忘れても全然オッケー!チーズやヨーグルト、パンも売ってる。食べ物は用意しているので、後でポテトチップスとビールを買うことに。
カフェやレストランのメニューもチェック。普通のお洒落なカフェ。値段はパリ市内と変わらず(メインディッシュは15ユーロくらいから)。
トイレの場所確認。どうやら男女共用。わあお。
(トイレの部屋も綺麗だけど)この洗面所が綺麗!施設的にも新しいのかもしれない。
シャワーの音がしたので、むむむ!確認するとシャワー室がある!
覗いてみると、日本のプールに併設されているシャワーみたいにシンプル。ボディーソープ、シャンプー、タオルは持参するか、ミニスーパーで買えば良いのかも。帰る日の朝に気がついたけれど、湯船的な部屋もある!
受付では何も言われなかったので、宿泊者は無料で使えるのだろう。すげー!
日本のキャンプ場はシャワーがあっても綺麗なところは稀(成田ゆめ牧場のシャワーは最強に綺麗で、人のお家でシャワー浴びてる感があります)。大抵はコインシャワーだし(15分300円とか)。一度九州旅行で海沿いのキャンプ場で泊まった時は、シャワー室の床が砂だらけで汚くて、でも夏だったし無料だったからシャワーをどうしても浴びたくて、なるべく綺麗めなところを探して足元おそるおそるお湯を浴びた。気持ちよくなったので出ようと思って目を開けたら、シャワー室の明かりでありとあらゆる虫が集まってきていて、おぞましい感じに。もちろん綺麗な洋服を置くスペースはなく、そこら辺にあった埃っぽい木の上に諦めて置いた気がする。
それに比べるとフランスのシャワーコーナーは成田ゆめ牧場には敵わないけれど、無料の割に綺麗(さすがに写真は撮りにくかった)。
探索を終え、しばらくだらだら。カフェ裏の卓球台で子供達が卓球をしている。カコンカコン。懐かしい。
18:30ごろ夕食準備。家でホイル焼きの中身を準備しておいたので、フライパンを火にかけるだけ。メインはクリームパスタ。チーズパスタにしたかったのにチーズを失念したのでクリームパスタに行き着く。これも家でパスタを茹でておいたし、野菜は全て切っておいたので、鍋に入れて生クリーム・パスタと合わせて煮るだけ。
夫のヤマザキのパンも添える。
しかし、くつろげない。
なんと、フランスは今、夜21:30まで明るい。子供たちやその家族が夜20:00になっても21:00になっても私たちの椅子の背後でボール遊びをしている。それまでデメリットに気がつかなかったのだが、プレーグラウンドの裏にテントを設営してしまっていたので、そのボールがたまにこっちまで飛んでくる。
↑テント裏が平和だった15:00頃。すでに懐かしい。
子供達のボールがテントの横に当たったり、私の椅子のすぐ横に転がってきたり。夫とゆったりお茶でしゃべっているところではない。夫はそんな無邪気な子供たちとその親との家族あったかホカホカタイムを見て、すごく嬉しそうだ。男4人兄弟だったから、昔の思い出に浸ってても無理もない。
私は中学生の頃、サッカーボールを顔面でキャッチしメガネが吹っ飛び(メガネの)ツルがありえない方向に曲がったり、バスケットボールの授業で右手の人差し指でボールをキャッチして骨にヒビが入ったりと、ボール競技はトラウマだらけ。私の座っている背後でボール遊びされるとハラハラ。しかも、途中からペタンク(鉄球を遠くまで投げる遊び)をやりだす家族がいた。私は一人でテントの中へ避難。
これはイジメか!?ドッジボールなのか!?彼らはいつ夜ご飯を食べるんだ?デザートに遊んでいるのか?
怖がる私を夫がスーパーに誘い出してくれ、ビールとポテチを買ってくれた。
ボール遊びはなんと22:00ごろまで続いた!そしてやっとだんだん周りが暗くなってきた。
寝具のセッティング。いつしか雑誌の裏で見た記憶のある、寝袋にエアマットを入れるやり方を試す。人生初のマミー型寝袋は、エアマットを中に入れているのもあり、なんだか締め付けられてキツイ。こんなものなのかな。中に入って夫とだらだらYouTubeを見ていたら眠くなってきた。歯磨きをして23:00には寝ることに。念のための耳栓をはめる。
しかし、床に横になった瞬間、キャンプ場の周りのEDMが耳に入ってくる。ブンブンブンブンとベース音が響く。近くにクラブでもあるのだろうか。周りのテント場には、22:30ごろから人が戻ってきたが、カップル数組しか見てない。ほかの人はどうした?全仏オープンか?キャンピングカーの台数がかなり多かったので、人がいても車の中で、騒音が外までもれなかったのかも。人の声より、とにかくEDMが爆音。
寝袋に締め付けられ両脚の身動きが取れないせいか(?)寝返りを打とうとするたびに腰に力が入るらしく、腰に激痛が走るようになってしまった。寝返りを打つたびにギックリ腰にならないかと心臓ドキドキだ。
そんな浅い眠りの中EDMが響く。朝4:00くらいまでEDMが激しかった気がする。もはやEDMのフェスがあった可能性が。
音楽がやっと終わったと思ったら、今度は山鳩(?)が延々と鳴く。川崎に住む祖父母の家に夏休みに行くと山鳩の鳴き声がしていたので、山鳩については良い記憶しかないのだが、今回ばかりは例外。もはやいつもの平和な「ホ、ホホっ、ホ、ホー」という声はなく「うおお、うおおっお、おー」「びゃ、びゃびゃっびゃびゃー!」とぎゃあぎゃあヒステリックに騒ぐ。羽音もバサバサ。夫によると「求愛行動中なのでは」とのこと。うーん、じゃあ私はずーっと鳩の夜の営みを聞いていたわけ(いや、朝の営みか)?
朝6:00が過ぎた頃、横で夫が「もう6:00過ぎたよ」と言う。腰が痛くて起き上がれない。その場で携帯で「マミー型寝袋 腰痛」と検索をかけるが、出てこない。世の中の皆さんは腰痛にはマット選びが大事と思っているよう。ってことは分厚いマットを寝袋の中に入れたのがよくなかった?マットを寝袋に入れて使う記憶はいつのだったんだろう?マットと寝袋のズレが気にならなかったたのは良かったんだけれど。マットが寝袋の下でズレるのが気になって寝れないこともあるのです、、、(大抵、山の寝具はシャカシャカ系の生地なので、マットも寝袋も一箇所に留まってくれないのです)。本当に寝具への悩みが尽きない。
朝ごはんはパーコレーターのコーヒーと、ホイル焼き、夫のパン。あと、日本から大事に持ってきたカップヌードル。
自宅から近いスーパーでプラスチックのフォークをもらってきていましたが、なんと麺の中に入れたらぐにゃり。ここまで熱耐性のないプラスチックフォークは初めて。やっぱり日本のコンビニすごいな。
朝のだらだら時間中に、私の新しい寝袋を見て自分が欲しくなった夫が中で試しに30分ほどゴロゴロ。そのあと片付けようとすると、なんと超汗臭っ!私の新品の寝袋が!!「干してあげるよ」とのことだが、あまりにも臭いがひどいので、家に帰ったら即効手洗いモードで洗濯することを選択する。シャワーがあることは知らなかったから、今回はバスタオルもボディーソープも持ってきておらず、家でシャワーを浴びて出る「深夜飛行機スタイル」だったけど、今後のフランスキャンプはお風呂セット必須だな。
帰りはキャンプ場から出ている片道2ユーロのシャトルバスで最寄りの地下鉄駅まで。フランスは30(木)から4連休のため、まだまだ家族連れは遊びプランがあるのか、同じシャトルバスでパリ市内へ。私たちも入れてぎゅうぎゅうなバス。
夏のような気温の中、登山リュックと手荷物を引きずって歩く私たちは登山客のような身なり。けれど、買い物袋など垢抜けない手荷物を持っているところをみると、アウトドア客というか、家出感があるかも。パリのアパートを抜け出しての1泊2日だから、やっぱり家出だったか。
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パリでの人付き合いの苦労
今週でパリでの社交活動は一旦止めようと思う。
よっぽど人とおしゃべりしたくなった時以外は。
先々週、エッフェル塔の前でのピクニックイベントに参加した。
オーガナイザーはペルー系アメリカ人と結婚したフランス人(アデルと呼ぶことにする)。
会えたのはアメリカ人の保険会社社員(メアリーと呼ぶことにする)、アメリカ人の英語教師(サリーと呼ぶことにする)、カリブ海出身の(国は聞き取れず)英語教師・子守(シェーンと呼ぶことにする)。サリーは私と同様待ち合わせ時間通りに来た。アデルは飲み物も食べ物も用意してくれ、親切。ペルー系アメリカ人と結婚した時の話も面白い。シェーンは大人で頭良い感じ。メアリーは私の帰りぎわに来たが、落ち着いた雰囲気の人でちょっと天然っぽい。
その中で2週間強経った今、繋がっている人数はなんと、ゼロ。
親切なフランス人には初めて会ったので、アデルは気になってた。
アデルから「もしパリを散策したかったら声かけてねー!」とメッセージをもらって嬉しかったが、最初はアデルのキャラが読めず躊躇。それが良くなかったのか?
いざ日程調整、当日こちらが確認メールを送ったら急に予定が合わないと言ってきた。予定再調整をしてみたが、待ち合わせ時間30分前に腹痛・下痢を理由にキャンセル。
会う気がないなら最初から「ちょっと最近忙しくて無理」とか言うなりなんなり、予定組むのすらやめてくれればいいのに。
まあ、節約にはなったけど!
サリーはなぜか私のことを気に入ってくれ、イベントの後もメッセージをくれたが、いまいち何が好きなのかわからない。
「何をするのが好き?」と聞くと、「昔は政治に関わってたんだけど、パリでは難しそうだね」とのこと。「週末の予定を立てようよ!」と言うので「美術館に興味があったら一緒に行こう!」と言うとそれっきり。
サリーはそもそも自分のことばかり話して全く私に興味はない感じ。
自分からコーヒー飲もうとか、映画見ようとか、そういう提案も一切なし。
多分、そもそも人に話を聞いてもらいたい人なのだろうと思い、私が無料で受けたカウンセラーをオススメしたところ、「それいいかも!」と好意的な返信が返ってきた。
週末朝になると「ハロー!」とメッセージがくる始末。サリーには申し訳ないけれど、未返信。
分かってる。
私のことを目にかけてくれるだけでありがたい。
海外旅行していても、Facebookの外国人同士の社交イベントに参加しても、やっぱり比較的、白人は私に興味がない。日本はもちろん、アジアのことを興味もないし、知らない、という理由もあるのだろう。
だから、アメリカ白人のサリーが私のことをちょっと気になっているのは嬉しい。
でも、そもそも私に興味があるのではなく、ただ単に誰か話を聞いてもらいたいだけなら、私が聞いてあげる時間は無駄になる。
人恋しいからって、私に興味のない人と会って話を聞くほど、私は落ちてない。
メアリーはFacebookで人生哲学的なポスト投稿が多く、私がいいね!してたら、「近々コーヒーでも」ということになった。ただ、こちらも予定調整したものの「やっぱ今週は家族が来るから来週にしてもいい?」とのこと。今週末ほんとうに決行するかわからない。
そして、その私のマイナス思考が災いし、今度は週末に私が夫とのキャンプを入れてしまった。忘れてた!人のこと言えないな。これで私が予定断ったらメアリーとは終わるかな、、、
Facebookの30代外国人女子グループでも投稿が上がっていたが、パリにいればいるほど、作った友達が数ヶ月・数年で去っていくのを感じるので、最終的に友達作りをしなくなるという。
私の2ヶ月の経験から言えば、こうだ。
パリにいればいるほど、新しい友達と立てた予定がすっぽかされるのを何度も経験する。
そのうち、「じゃあ自分も自分の家族・子供の頃からの友達を優先するよ」ってな感じになっていく。(私としては、新しい友達と関係を築く最初の期間は、友達を優先してきちんと信頼関係を作りたい。けれど、パリ式だと身内を優先して良さそう。)
そしてついに自分でも新しい友達との予定を守らなくなったりする。
こうしてお互いを邪険に扱い続ける結果、新しい友達ができないのはもちろん、できても続かない。
最終的にはどんどん他人そのものを信用しなくなるのでは。
実際、人種差別の観点を抜きにして、昨日のブランチイベントで私に無関心そうに見えた人は、パリに2年以上から6年いる人たちばかり。
パリに7年いるメキシコ人とアメリカ人ハーフの女の子が感じよく、一対一で話せたのは例外。
でもその子は他の英語のネイティブスピーカーは最初あまり対話してもらえてなかった。
これは彼女の訛りのせい?
まあ、なんだかんだいって昨日集まったメンバーも良くなかったのかもしれない。
前回クレープを一緒に食べたポルトガル人のミーナと、中国人のルーと会えたのは良かった。
ミーナは正直で正義感が強くて良い人なのはわかってる。
でも以前ミーナがすっぽかしたイベントがあったらしい。
そのイベントに参加した(昨日私が初めて会った)イギリス出身のシェリーはとミーナが来る前に
「本当に今日、ミーナは来るのかしら?この前すっぽかされたけど!」
と他の女の子の前で不満をぶちまけていた。
ミーナはシェリーを覚えていたらしく、会の後半でひたすらシェリーに謝っていた。
シェリー「ううん、気にしていないわよ!」
怖ええ。
ミーナ曰く、他の女の子から「私の経験上、あなたが集めた女の子たちはイベントすっぽかす人ばかりよ。行かない方がいいわよ」と言われて信じちゃったとのこと。
これが嘘か誠か分からないが、おいおい女子たち。
中学生じゃないんだからさ。
こんなのが続くと、もうイベント行く価値はないかなあという感じ。
みんな30才超えていて大人なんだから、そしてせっかく日程合わせて集まったんだから、2時間くらいはお互い感じよくして会話を楽しんだらどうなの。そして、裏で悪口言ったって、何も状況良くならないでしょ。
今週は火曜日にワインテイスティングイベント、木曜日は日仏交流パーティー。
それを最後にこれからは社交イベントは下火にする。
外国に住むにあたって、時々お茶やランチでおしゃべりできたり、何か困った時に助け合う人がいたらなあ、と思って参加し始めた社交イベント。
しかし、実態は思っていたよりつながりが希薄。
そして昼ドラみたいにドロドロ。ママ友か。
(そして人をあまりにも邪険に扱う人が多い気がする。マナーはどこへ行った?
そもそも存在しないのか。
まあ、私も一度日仏言語交流をしたオジサンからのチャットがちょっと気持ち悪い気がして、以来、無視してしまっていますが)
大学時代の英語部を思い出した。
毎月2回ずつくらい、週末にさまざまな大学が集まって、英語でディスカッションをする。
主催大学が会場を提供、開会式と閉会式を運営、かつ事前に参加者を集めて5人から6人ほどのグループ分けをする。テーマは毎回主催大学が決める。好きな食べ物でも、子供時代の話でも、真面目に地球温暖化を語っても良い。会話は全て英語。最後に名札代わりの画用紙にメッセージを書きあう。本人が希望すれば、飲み会にも参加できる。
大半の学生が、ディスカッションの場で英語で話している時のキャラと、日本語に戻った時のキャラが違う!
英語で雑談して盛り上がっていたため、飲み会も参加したら楽しいかなと思うと、全く違う。飲み会ではかなり心の距離が遠いのだ。まるで他人に戻ってしまったかのよう。日中のあの盛り上がりは一体なんだったの!
英語を使うことで、ディスカッションの場では一時的にみんな「外国人」になるのかも。
日本語に戻るといつもの他人同士の付き合いになる。
英語が大好きな私はディスカッションのイベントがある度に欠かさず参加していた。知り合いは増えて毎回ディスカッションに参加するたびにちょっと話せたり、かつてのMixi(ミクシイ)でのやりとりは増えて楽しかったが、後の人生まで続く友達は一人もできなかった。
まあ、夫が例外か。
友達作りって本当に大変だ。
ヨガ好きが高じてバリでのヨガ宿泊イベント(7日間)に参加したことがある。
その際に初めて自分がアジア人であることを感じ、周りからの心の距離が遠いと思った。
露骨に私と目を合わせないし、私に攻撃的なコメントが多い南アフリカ出身の白人女子。
夕食の場ではオーストラリア人とアメリカ人が場を支配、英単語や言い回し、アクセントの違いや、昔見ていたドラマの話に花を咲かせた。私と仲良くしてくれたのは、オーストラリア出身の、ヨガ講師をやっている50代女性とその70代のお母さん。さすがにアジア人にも慣れていたか。あとはCiscoでマーケティング担当をしていたフェミニストのドイツ人女子。この子の彼氏さんはインド系みたい。
白人とは、アジアが好きな人か、アジア人と付き合っている女の子以外は、お友達になれないのかなあ。
かと思うと、パリ引越しに伴う退社直前に参加した、ニュージーランド10日間のツアー旅行では、旅行自体にテーマがあったのもあって、人種関係なく外国人ツアー客半分とユルい友達関係ができた。
みんなが慣れていない国で色々な体験を一緒にして、毎日同じ空間で(バスやフェリーで)時間を過ごしたのも良かったのかもしれない。
考えてみたら、その人たちと何か趣味が合うわけではない。
別にお互いがお互いに強烈に興味があるわけでもない。
でも、雑談をいっぱいしたのでキャラはなんとなくわかるし、一緒にいて居心地良い。
その人たちとはゆるーくFacebookで繋がっている。
唯一、私と目を合わせてこないし会話もしようとしてくれなかったコロラド出身の5児の母とは、帰りの飛行機を待ちながら話をしていくうちに打ち解けた。
今後どこかで一対一で会ったとしても、もしかしたらニュージーランドの魔法は消えているかもしれない。
でも、今までした旅行の中では一番楽しかったし、旅行の終わりやツアー客との別れを初めて心から寂しいと思えた。
外国での人付き合いって、本当に色々だ。
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(よもやま話)はてなお題「アイドル」 - バックストリートボーイズ
今週のお題「アイドルをつづる」
他の大抵の女子のようにグループを作って群れることに全く興味がなかった私は、小学校高学年の時に、女子グループに入りそびれてしまった。
これが大失敗だった。
大方の生徒は、小学校卒業後、隣の中学校に進学する。
卓球部に入っても、すでにできている女子グループ1組がメンバーの99パーセントを占めていた。
中学3年生の頃は悪い予感が的中し(引き寄せの法則か)イジメられた。
四面楚歌だった。
自分の目の前で、女の子同士が(私にあてつけるように)「キモい」と言ってきたり、席替えの時に一緒に座る人がいないことはざら。
男の子ですら、女の子たちの空気を読んで、私の前でクスクス笑うようになっていた。
学校はクソだ。
そんな時、私をメンタル面で支えてくれたのはバックストリートボーイズ。
英語学習のために聞いていたNHK基礎英語2で”I want it that way”という失恋ソングが取り上げられてから気になっていた。
「ミレニアム」というアルバムを母に買ってもらってから、ファン心に火がついた。
毎日毎日バックストリートボーイズを聞いた。
川崎の祖父母の家に行く際の、高速道路の8時間のドライブでも両親にねだってバックストリートボーイズをかけてもらっていた。
家では日英の歌詞カードを毎日読んだ。
何度読んでも聞いても飽きなかった。
英語が得意だったので、英語で歌う練習もした。
歌えるようになってからは車の中でも歌った。
一度NHK BSで数曲PVが見れた時は天にも舞い上がる気持ち。
予約録画ができなかった時は本気で母を責めるほど。
中学3年生の時にベスト盤のCDと同じ曲のDVD集が出来た時は、即効ゲット。
宝物だった。
高校生になって、いじめというものがなくなった。
同じ部活の子とカラオケに行くようになると、その子が知っていようが知りまいが、バックストリートボーイズを必ず歌った。
周りの反応は求めてなかった。
バックストリートボーイズがまだ好きだった。
夫と大学時代にカラオケに行きまくっていた時は、夫もベスト盤に入っている曲は知っていたので、たまに歌ったりした。
5人グループなので一人で全てのパートは歌えない。
だが、2人いればある程度歌える。
合唱好きな夫も、ゴキゲンだ。
オタク化していた私は、どの部分がそれぞれ誰が歌っているか聞き分けて、声真似しながら歌ってた。
ハウイーの高音は美しすぎる。
ケビンの低音はしびれる。
「君が誰だっていい。どこ出身だっていい。何をしている人でも良い。ボクの事を好きであれば。」
「『孤独』の意味を教えて。これと一緒に生きていかないといけないの。なんで君と一緒にられないの。心に穴が空いてるよ。」
今考えれば歌詞が激甘。
日本語訳していても体がむずかゆい。
中学校のいじめっ子じゃないけれど、それこそ「キモい」。
しかし、当時は私の最高の傷薬だった。
私も
「周りからなんと言われていようと君が好きだよ」
「ボクが君の人になるよ。悲しみも吹き飛ばすよ。逃げこむ先がない時に。」
と言われたかった。
この歌詞を「気持ち悪い」と思うなら、もうバックストリートボーイズを卒業したのかもしれない。
一度解散したバックストリートボーイズも、最近再結成したらしい。
パリに来てから、外国人女子のFacebookグループで
「バックストリートボーイズのライブに行く人?」
という投稿が上がった。
コメントも30件ほどあった。
びっくり。
懐かしいな。
ここ数年はカラオケでバックストリートボーイズを歌っていなかった。
夫には
「バックストリートボーイズに命を救ってもらったのに、薄情だな」
とからかわれていた。
しかし、夫がYouTubeで曲をかけると、スラスラと歌詞が口から出てくる。
体は覚えていた。
一曲終わると、アルバムの順番で次の曲が口から出てくる。
ありがとう、バックストリートボーイズ。
ちなみに数年前、イギリスでワンディレクションとザ・ウォンテッドが「ボーイズグループリバイバル」の波に乗り、流行っていた時は、ウォンテッドが好きだった。
5人とも歌が上手く、キャラも個性的。
現代っ子ぽい、肩の力が抜けている感じもある。
なにせ、ライブで歌詞を忘れるヤツが一人いるのだ。
1人が喉の病気&手術でグループ復帰ができるかできないか、という危機にさらされていた時は、4人の歌唱力がググッと上がって、団結力を感じさせた。
その盛り上がりが絶頂の時に、突然活動休止を発表。
レコード会社側が利益があまり出ていないことを問題視した説もある。
残念。
あれから5年ほど経つような気がする。
再結成を願い続けている。
「楽ありゃ苦もある」人生にはボーイバンド(アイドルグループ)という薬が必要だ!
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フランスの乳製品とニキビと
フランスの乳製品の種類の多さについては、たくさんの在仏日本人がブログで書いているみたいだ。
初めて近所のマルシェに行った時、目の前のイケメン高校生がお母さんのために(?)お使いをしていて、野菜などと一緒に量り売りをしているヨーグルトを買っていた。
私もやってみたいと思い乳製品屋さんへ。
「ヨーグルトありますか?」
と片言のフランス語で聞くと
「あるわよ。(おたまでヨーグルトをすくいながら)こういう(つぶつぶの豆腐のようなボソボソした)タイプと、こういう(クリーミーな)タイプがあるけれど、どっちがいい?」
「じゃあ、クリーミーな方で」
家に戻って試食。
なんだこれ、すごいクリーミーじゃないか!
うまっ。
酸味もさりげない。
その週はそのヨーグルトをガバガバ食べた。
フランスってなんていいところなんだ。
リピートを誓った。
次の週はシフト勤務の夫の朝が遅い日で、一緒にマルシェに出かけた。
夫は出不精なので「一旦家から出てしまえばミッション達成」とばかりに、すぐに帰りたがる。
マルシェに行った際も
「手前のお店で買えばいいんじゃん?」
と、一緒に行きたいといっていたくせに、もう帰りたそう。
仕方ないのでクリーミーなヨーグルトは諦めて、自宅の近くの通りの乳製品屋さんに寄る。
ヨーグルトがあるか聞くと、スーパーで売ってそうなプチダノンサイズのヨーグルトを指して
「これかな」
と言う。
クリーミーなヨーグルトを買った時に見かけた大きなプラスチックケースを見つけたので、何か聞くと、
「グリークヨーグルトだよ」
とのこと。
うん、まあ、グリークヨーグルトだって、いいぞ。
おじさんにオーダーすると「ほんとにグリークヨーグルトでいいのかね?」みたいな顔をしている。
「グリーク、グリーク」
と強調されるも、私は
「オッケー!」
と威勢よく答える。
自宅で試食。
こりゃあ濃厚なグリークヨーグルト。酸味はほとんどない。
でもなんだろ、別に毎日食べなくても良い味。
あのクリーミーなのにもう一度出会いたい。
その次の週は来仏してからすぐに行ったバスティーユのマルシェへ夫と。
クリーミーなヨーグルトあるかな。
乳製品量り売りを発見し、お店のおばさまに聞くと、
「これはヨーグルトじゃないわよ。クレームフレッシュよ(生クリーム)よ」
とのこと。
まあ、これも面白いじゃないか、それでお願いします。
これがまた美味。
フランスの生クリーム(クレームフレッシュ)ってこんなに(文字通り)フレッシュで、軽くてフワフワなんだ!
フランス人式にイチゴにかけてみたり、メレンゲを焼いてイチゴと乗っけてオーストラリアのお菓子「パブロバ」にしてみたり。
しかし、あの一番最初に食べたクリーミーなヨーグルト、ほかのお店で売ってないのかな。
語学学校の授業で先生に感動を伝えた時は
「それはヨーグルトとクレームを混ぜたやつかもね。昔はよくあったけど、最近なくなってるの。レアものみつけてよかったわね!」
と言われていた。
じゃあ、近所のマルシェの「あのお店」が良かったんだ。
しかし、あるときぶらぶらしていた時に疑念が。
その日は朝早くにマルシェに行ったのでお店の人たちもいたりいなかったりの時間帯。
クリーミーなヨーグルトをゲットしたお店をちらりと見たら、ヨーグルトが入っていた容器が2つ。
左側の蓋に
「クレームフレッシュ」(生クリーム)
右側の蓋に
「フェタ」
と書いてあった。
むむむ。ヨーグルトじゃない?
その週は自宅に近いグリークヨーグルトを買ったおじさんのところに行き、また
「ヨーグルトはない?」
を試してみた。
また同じ小分けのパッケージを示される。
今度はグリークヨーグルトの横のプラスチックケースを指差し
「これは?」
と聞いてみることにした。
おじさん
「フロマージュブラン(チーズ)だよ」
とのこと。
「じゃあフロマージュブランで」
とオーダーすると「わかってるよ、これが元々欲しかったんだろ」というような顔をされた。
違うの、前は本当にグリークヨーグルトが欲しかったの。
で、自宅で試食。
うーん、これはクリームチーズに酸味を足してフレッシュかつ美味しくした味だ。
本によるとアメリカのサワークリームと同じようなものとのこと。
なるほど、つまり、マルシェで量り売りで買える乳製品は、グリークヨーグルト、生クリーム、フロマージュブランね。
でも私のクリーミーなヨーグルトはどこへ?
ついに、最初と同じ乳製品の店へ行く機会ができた。
「ヨーグルトはない?」
と再び聞いてみる。
するとプチダノンみたいな小分けの容器を指差してくるじゃないか!
自分からプラスチックの容器2つを指して
「これは?」
と聞くと、
「クレームフレッシュ(生クリーム)とフェタよ」
とのこと。
えええええええー!
「ヨーグルトとクレームフレッシュを混ぜてあるやつはないの?」
「ないね。このデザートカップに入ってるのは、フロマージュブランとクレームフレッシュ(生クリーム)だけど。」
、、、、、、
じゃあ、一番最初にヨーグルトだと思って食べてたのは、生クリームだったわけ?
ヨーグルトだと思って山盛りにして食べてたのに!!
そりゃニキビ大量発生するし、お腹も出るわけだよ。
っていうか、私が「ヨーグルトは?」って聞いているのに、なんで最初のオバさんは生クリームとフェタを見せてきたのか!?
どっちも牛乳を発酵させたものだけど、私みたいな外国人だって、さすがにヨーグルトが生クリームとチーズとは違うんだってくらい、わかるよ!!
最近買った本よると、フランスの生クリームは発酵しているらしく、発酵度合いは国で規定がないらしい。
あのオバさん、私がヨーグルトが欲しいって言ったのを聞いて
「ははあ、この中国人、発酵乳製品を食べたがってんな。生クリームかフェタを勧めておきゃいいか。」
って思った!?
フランス人謎すぎる、、、
どうしてたまにこっちが頼んだのと全く別なものが出てきちゃうのか。
・・・・・・・
とある朝、牛乳を温めていたら、フルーチェができた(は?)
インスタントコーヒーと混ぜても混ざらない。
温め過ぎが悪いのかと思い、温め時間を少なくしてトライ。
それでもまだプルプルした固形物ができた。インスタントコーヒーと混ざらない。
茶こしでこしてみたけど、やっぱり微妙。
仕方ないから普通にインスタントコーヒーを作って、牛乳入れてみたらまだまだボソボソ。舌触りザラザラで飲めたものじゃない。
どうしちゃったの。
牛乳だけをカップに注いで一口飲んでみた。
うおええええーーっ!!!!!!
相当苦いっ
そしてちょっと臭い?
とっさに洗面所に駆け込んで数回うがい。
攻撃的なゴーヤ味。
側で見ていた夫
「それ飲んだんだ?うちのカフェでも同じこと発生したけど、牛乳が悪くなってるのが原因らしいね」
とのこと。
ちなみに後にネット検索してみたが、誰もこの
「牛乳フルーチェ現象」
について書いている人はおらず。
うえええ気持ち悪かった。
・・・・・・・
フランスに来て顔の皮膚が(乾燥のためか)ホロホロ剥がれてきたので、日本でも有名なビオデルマの敏感肌用を買いました。
しかし2ヶ月後、今度はニキビ大量発生。
もしかしたらフランス語のストレスと、バター・砂糖たっぷりのパンたち、夫のカフェの残り物食べすぎのせいかもしれませんが。
薬局に行って、ビオデルマのニキビ用を買おうとしたところ
「うちでは扱ってない」
とのこと。
勇気を出して
「顔のこれ、これ、なんて言うんですかね(ニキビという単語は口から出てこず)、これを治したいんです」
と片言のフランス語で伝えてみる。
「以前は何を使っていたの」
「ビオデルマの敏感肌用です。でも、そのう、あのう、もっと、そのー、、、」
「強いやつね!」
綺麗なお姉さんが下記の化粧品ブランドをおススメしてくれました。
私が「オッケー、オッケー」と頷くだけなので、買う気満々と思ったらしく、洗顔料、化粧水にとどまらず、どんどん勧められる。
なんとかデイクリームと濃厚セラムはお断り。
結局、洗顔料、化粧水、ナイトクリーム、マスクをお買い上げ。
94ユーロ。
うへえい。
今週の予算超えたな、、、
フランスでは硬水で肌が荒れるフランス人・外国人が多いらしく、顔を水で洗わない(化粧落としだけ)が基本のよう。
お姉さんが勧めてたのは洗顔するタイプ。ちょっと不安。
でも肌っていうのは人によって違うしね。
効くといいなあ。
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フランスの紙と分厚さと
フランスのトイレットペーパーは可愛い。
人恋しくなりすぎて、トイペに愛情を感じるようになっちゃったか!
お前も終わりだな。
というわけではない(はずだ!)
フランスのトイレットペーパーは本当に小さいのだ。
幅8センチ、未使用のペーパーの直径は10センチくらい。
夫が私に定規を持たせてきたので、実際測ってみよう。
幅9.5センチ、直径はなんと10センチ。正解!!
ちなみにグーグル大先生によると、日本のトイレットペーパーの幅は約11センチ、直径は12センチ以下。
なんとなくフランスのトイレットペーパーは拭き心地が足りない感じで、ついついいっぱい使ってしまっていた。
なんでかなーと頭の隅っこで思っていたが、幅の問題か。
気がついてからはペーパーを微妙にずらして幅を大きめにしてから折りたたんで使っている。
フランスのティッシュは分厚い。
肌感でいうと、日本のティッシュを3枚重ねた感じ。
まるでキッチンペーパーで鼻をかんでいるみたいだ。
なんだかもったいなくて、同じペーパーで2度かんでみたり(汚い話ですみません)。
ちなみに、フランスの礼儀作法では、
鼻水が出てきたらちゃんとかむべし!
ということらしい。
人によっては「人前でかまないで、トイレに行ってかみなさいよ!」という教育を受けた日本人もいるはずだ。
フランス人としては、鼻水をすする方が下品とのことで。
先週、語学学校に向かう電車の中でちーんと上品なマダムが鼻をかんでいた。
妙な納得感があった。
ちなみにフランスのキッチンペーパーの厚さは日本のと同じくらい。
フランスのクッキングシート(ベーキングシート。オーブンで焼いた時に具材がくっつかないツルツルの紙。)は日本のと同じ暑さ。
フランスのレシートはアメリカ、オーストラリア等と比べると分厚い。
日本のよりは薄い。
フランスの本の紙は分厚い。画用紙みたいなこともある。
マルシェでお店の人が野菜や果物を入れてくれる茶色い紙袋も分厚い。
夫によると、水分や油分がしみないように加工してある紙とのこと。
分厚さは日本の茶封筒並み。
フランスの買い物袋(ビニール)は分厚い。
マルシェでもらおうが、夫の勤務先のカフェでもらおうが、変わらない。
基本フランス人はスーパーに買い物袋持参で行く。ない時は有料の袋を買うしかなくなる。
例外はマルシェやベーカリー。袋代はお代に追加されていないようだ。
それにしても分厚い。
高級なお店かと思ってしまう。
フランスのタオルは分厚い。
そしてゴワゴワ。
どれだけ多くの洗濯回数に耐えられるか、が肌触りよりも重視されている気がする。
日本のふわふわタオルが恋しい。
ちなみにフランスの郵便局員の面は厚い。
不在票を持って11:30ごろ荷物引き取りに行ったら、不在票に書いていないのに
「それは14:00ですう!14:00に来ないとないですう!」
とまるで小学5年生男児のような語調で言われた。
「いやいや、不在票に『5/12以降に取りに来い』って書いてあるから、もうあるんじゃないですか」
ともうひと押ししてみるも、
「意味分かりませんー」
とまたもや小学生口調。
受付から動く気もないようで、じっと私の目を敵意いっぱいにみつめている。
いやいや、こっちが意味分かんないから。
夫の勧めで13:30に取りに行ったら、夫の狙い通り別の担当者がいて、あっさり倉庫の鍵を開けて取りにいってくれた。
無愛想ではあったけど。
紙と面の厚いフランスだ。
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パティシエの夢と仕事とパリ
今までの私の人生に迷いなんてなかった。
自分で全部決められると思っていたし、自分の選択は全く間違っていないと思っていた。
その根拠のない自信は、色々理由づけできる。
私の祖父母が初孫としてお姫様のように可愛がってくれたこと。
2歳で原因不明&病名不明の腎臓病で死にかけたこと。
小学生時代は大の勉強嫌いで、教育熱心な祖母におバカ扱いされたり、数学が極端にできないことで父にアホ扱いされるも(父によると「バカは治らないがアホは治る」とのことで)、中学生時代に学力覚醒、仙台の進学校の入試を突破できたこと。
中学生時代はイジメを受け四面楚歌の状態だったが、皆勤だったこと。
高校時代は担任の先生に「合格は無理だ」と言われた大学に進学できたこと。
とにかく、落ち込んでは這い上がる人生を歩んできた(と認識していた)私に、迷いはなかった。
大人になったらパティシエになる。
まずは製菓学校に入って、その後はフランスで修行。
その後修行先で出会ったフランス人と結婚して、一緒にお店を開くんだ!
社会人2年間でまずは製菓学校の学費を貯めた。
社会人3年目、土曜休日の仕事になった。
ついに憧れの製菓・調理専門学校、ル・コルドンブルーの製菓課程に入学した。
土曜一日の授業構成はこんな感じだ。
午前中がシェフのデモンストレーションによる作り方の解説で、午後は各自一台ずつケーキを作る。
作った後はシェフに出来上がりをチェックしてもらい、味見をしてもらう。
どの生徒も大体は
「仕上がりが汚い」
「不味い」
などなど、素っ気なくこき下ろされる。
同じクラスの生徒と更衣室で慰め合い、次の授業まで家でも練習する日々。
自分のケーキがこき下ろされるのは気分良くなかったが、でも毎週、夢に一歩一歩近づいている気がした。
毎週学校で一台、家で練習用に一台作り、それを夫と私で消費。
体重は2キロ増え、バターたっぷりのお菓子の消費で顔はニキビだらけ。
でも全く気にしない。
なにせ夢を追いかけているのだ。
クラスメートの中には上級クラスが終わって学校を卒業したら、フランス修行を考える人がいた。
製菓学校の方でも期間限定で修行お試しを斡旋していた。
有名ケーキ屋で、参加費を払いながらではあるが、1ヶ月修行させてもらえる。
それに参加するには、自分のオリジナルケーキを作るという卒業試験で上位成績2位までに入らなければいけない。
自分で修行の世界に入るのは人生の大決断だけれど、期間限定で、しかも学校がおススメする修行なら、やってみたい。
しかし上位2位に入れなかった。
冷静になれ、自分。
ここでうまくいかなくても大丈夫なはず。何とかなるさ。
卒業後、即効フランスで修行を始めたクラスメートに話を聞いてみると、フランス語が分からない時は同じ修行仲間のフランス人にからかわれることもあったよう。
でも、高い棚にある材料を取る時などは助けてくれる。仕事仲間とお互いふざけあったりしながらの仕事は楽しいとのこと。
彼女は最終的に、同じ職場で出会ったイギリス人と結婚することになったようである。
私はどうするか。
コルドンブルーの先生たちも、ケーキ屋をやるなら修行は当然、というスタンスだった。
しかし、ネット、新聞、本や雑誌で調べれば調べる程、劣悪なパティシエの職場環境。
5:00出勤の0:00上がりもざらではなく、かきいれ時のクリスマス前は1週間職場に泊まる。
フランス修行の場合は7:00出勤の19:00上がりで、まだマシ。それでも12時間労働だ。
大抵のシェフは10年間ほど、複数の修行先で修行後、借金をして自分の店を開くようだ。
開店後、黒字になって成功するかは未知数。
修行している間の給与は、もちろん新卒程度。
社会保険を整えている、就労条件の良いケーキ屋に就職するのは必須。
ここで前職、新卒時代に学習塾勤務で苦労した経験が頭をもたげてきた。
13:30出勤、21:30退勤が基本。
しかし、中学生の授業が21:15に終わるため、また、正社員は派遣社員が仕事を終えてから戸締りをして帰る事になっているため、21:30に帰ることができるのは稀。もちろん自分も仕事があるから、大抵は23:30上がり。
運が良ければ22:30上がり。
一人暮らしのアパートまで電車で25分。帰って夕食を食べて休憩、午前1:00に就寝。
次の日は9:00過ぎごろ起きて、自分の担当する授業の予習だ。
大抵は2時間授業×2コマだ。
先輩社員が本社で作ってくれた授業マニュアルもあるものの、多少自分でも調べなければ授業で上手く子供達に説明できない。稀にマニアのように物知りの子供がいるものだ。
授業準備はやろうと思えばいつまでもやれてしまう。
より良い授業のため=子供達のため。
でも、あまり自分を追い込むと今度は自分の時間が取れなくて、自分の仕事のストレスが溜まる。だからある程度準備したら一旦やめておく。
しかし、準備をやりきらないことで罪悪感を感じた。
新卒で体育会系の教育を受けたこと、現場では仕事ができないことを叱られてばかりいたことで「もっと頑張らなければ」という気持ちが加速。
自分の時間と生徒のための時間を天秤にかける日々。
ベテランの先生からすると、本当に大したことのない授業をやっていた。
休日は思いっきり遊ぶようにしたが、勤務日に犯したミスについて上司から連絡がくる。
「今、◯◯なんだけど、これ、どうなってんの?ちゃんと子供/親に連絡行ってるんの?」
10年経った今でも思い出すと胃がキリキリする。
この仕事を続ける自信がなかった。
パティシエ修行ももしや、また学習塾時代みたいになるのでは。
いやいや、そんなことない。
今はちゃんと仕事できるし、世間知らずからは脱却したし、職場だって色々だろ。
でも、低い給与で長時間働き続けるのはいいの?
いや、良くないけど、、、というか、今も低給料だけど、、、
今と同じか、もしくはもっと給与下がっていいの?
自分の時間取れなくていいの?
10年働いて、まだ開店資金たまらなかったら、どうする?
借金したいの?
いやです。
奨学金は返したっけ?
いや、まだ、、、
そもそも、コルドンブルーの中級・上級コースは親にお金出してもらったよね?
あ、はい。
このまま何もしないで終わらせていいわけ?
えええと、、、
頭の中で延々と自分と議論。
頭の中では、ひたすら自身に鞭をふるう自分と、自分の進路を迷う自分がいた。
結局、迷う自分が勝った。
下した結論は
「今は修行はとりあえず保留。
一旦会社勤めを続けて、その間にコルドンブルー時代の製菓の腕を落とさないようにして、開店資金貯まったらまた考えよう」
そうこうしているうちに今から2年前、夢を応援してくれていた祖父が亡くなった。
「ヒロコちゃんがお店を開いたら、おじいちゃんがレジを手伝うね!」
葬式では、初めて会う祖父の親戚から
「あー、あなたがパティシエを目指している子ね!あなたのおじいちゃんが「孫はパティシエになるんだ!」って胸を張っていたわよ」
と言われた。
もうおじいちゃんが私のお店を見ることも、一緒に働くこともない。
私は一体何をしているんだ?
私は外資系IT企業でアジア地域と日本の人事の仕事をしていた。
有給は取りやすいが、業務範囲がアジアと日本であるため、結果的に業務量は日系企業勤務時代の3倍。
給与は若干上がったが大手銀行の新卒並みとも言えなくない。
月給を勤務時間で割ったら、、、それは考えたくもない。
上司や先輩は外国にいて、1人でオフィスに座って仕事。
気楽に仕事ができたが、上司が隣にいないため、上司は直接私の仕事ぶりを見ていない。
私の業務量は当然上司からは見えにくく、私が溢れる業務量に押しつぶされていても「みんな忙しいんだから、あなたも頑張って」。
仕事相手の役職者から理不尽な要求を突きつけられても、上司は隣にいないのもあって、守ってくれない。
日系企業のように毎年昇進・昇給が保証されているわけではない。
開店資金はまだ貯まっていない。
鬱寸前だった。
夏休みだけを考えて必死に業務をこなしていたところ、夫からLINE。
「来年の春、パリに転勤になった」
迷いはなかった。
「私も行く」
私の夢を知っている友人や両親は喜んでくれた。
「ついに本場でパティシエ修行ができるね!!」
それは、、、、
しないかもしれない。
でも、本場のお菓子に関わり続ける事で、何か見えることがあるかも。
何かできる仕事を作れるかも。
パリのベーカリーにはカフェが併設されていたり、お惣菜やケーキが並んでいる。
フランス語でのオーダーは住んで2ヶ月経った今も、気合いがいる。
気合いがない日は家に籠って、パリの生活をブログに綴っている。
買ったケーキや作ったケーキはインスタグラムに載せる。
よおし、頼むぞ!
どれどれメニューは、、、
サンドイッチにオムレツ。
ステーキにパスタにピザ。
スープ。
ガレットにクレープ。
ホットチョコレートにコーヒー。
デザート。
全部単品オーダーか。
あああ、なんでデザートをメインにしてくれないわけ?
そんなにボリューミーなサンドイッチやプレートはいらない。
山盛りのデザートとちょっとのおかずでいいんだけど。
夫と時々パン屋に行って、朝食のパンを買う。
夫はプレーンのクロワッサンか、チョコレート入りのデニッシュ(パン・オ・ショコラ)。
私はパンをスルーして、プリンタルト。
店員のおばさんが若い男性店員に
「ほらあ、朝からプリンタルトをオーダーするお客さんもいるでしょう!ちゃんと準備しておきなさいよ!」
はい、私がその珍しいお客です。
私の頭の中の夢見る子供が、今日もお菓子を求めている。
何よりも。
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