謎な父_お題「おとうさん」
今週のお題「おとうさん」
「お父さん」と言われてイメージされるのは、黄色いTシャツに緑のショートパンツを履いた、白いポヨポヨしたクマさんである。
うちの父の夏の姿である。
結婚前は登山にはまって親友たちと山の中を駆け回っていたようだが、今は見る影もない。
太っているわけではないが、筋肉を鍛えているわけでもないし、太陽に当たっているわけでもないので青白くてたるんでいる。
父については全くわからない。
登山していたという情報は、私と夫が富士山登山した際に初めて聞いた。それって一昨年だ。
何が好きな人なんだろう。
母子家庭だったにも関わらず、父は母と比べてよく私のことをわかっている。
小さいころ、あまりにも父が家に帰ってこないので、帰ってきた次の日は
「お父さんまた来てね!」と言ったそうだ。母びっくりである。
母は父が「子育てにはツッコミを入れるくせに手伝わない」と言ってキレていた。
「いっつも私の育て方が悪いって責めるから、『口を出すなら手も出してよ!』と言ったら文句言わなくなったの」とのことである。
近所の子供でたまに学校の運動会にお父さんが来ているのを見ると
「いいなー、うちのお父さんは無理だろうな」
と憧れと諦めが混ざった気持ちでいた。
高校の進路教育の宿題だったか?はっきり覚えてはいないが、母が父に「ちゃんと子供に自分の仕事を伝えてよ!」と迫った時があった。
確かに父はいつも答えをはぐらかしていた。
「公務員みたいなもんだよ」
「事務みたいなもんだよ」
「お父さんは何にもしてないんだよ(笑)」
私はそもそも空気を読むような子供ではなかったので、はぐらかされたら、はぐらかされた答えをそのまま覚える。
「ヒロコちゃんのお父さんって何やってんの?」
「うーん、なんかね、公務員みたいなものだって。」
「どこで働いてるの?」
「大学なのかな?」これは私の当時の予測である(!)
「へえ。じゃあ教授なの?」東北大で教授をしている父親を持つ、頭の良い中学校のいじめっ子が聞いてきた。
「ううーん、そうは言ってなかったんだよねー。何もしてないんだってさ。」
いくら中学生で社会の事を全く知らなくたって、これじゃ全く会話が成り立たない。
そもそも何で給与をもらって生活できているのか謎だ。
どうやら私に職業を伝えることで、他の子供とその親たちに職業が伝わってしまい、年収を予想されるのが嫌だったようだ。
しかし、私が社会に出てみて、父の収入は本人が思うほどそこまで高くないのが分かってから、別に隠すこともないんじゃないかと思った。父はただ単にお金の話をしたくなかったのだろう。噂話のタネになるのもごめんだ、という感じか。
もちろん、私が正直な性格で、情報は包み隠さず捻じ曲げず全て人に話してしまうこともお見通しである。現に今、このブログでやってる(お父さんごめん)。
そんな調子だから、父のことは全くわからない。
今年定年になったが、低い給料でもう一年職場にいさせてもらえることになったようだ。
「引退したら何もすることないよね?」私の素朴な疑問だ。
「いやあ、カメラなんじゃないの?」母が素っ気なく言った。
「え、お父さんカメラ好きだっけ?」
「好きだよお!」父が珍しく拗ねている。
「でもお庭のお花ばっかり撮ってるじゃん」
「撮るものがないんだもん」どうした父。
お見合い結婚の母とは性格が全く合わず、土日は家の中でも別の空間にいる二人。
本格的に父が引退したらどうなっちゃうんだ。
このまま別の部屋で別のことをしているのかな。
結婚生活というのは、相手がいくら憎くても、情が湧くものなのだろう。
私が小さいころ、母は父の文句ばかり言っているような印象があったが、私と弟が東京に出て、障害者の妹と父との3人暮らしになってから、結構仲良くやっているように見える。
祖母も母のようにドライな性格で、祖父が若い頃に手を繋ごうとした時は払いのけたらしい。
「あなたのおじいちゃんとは親友のようなもの」と言い、ロマンチックな感情はなかっったとのことだ。しかしその祖父が亡くなった時は悲しさを通り越して呆然としてしまっていた。その数年前に姉も亡くした祖母は、涙ぐむことが多くなった。
夫婦、家族って、何十年も時間を一緒に過ごすこともあって、深くて重いものなんだな。
いくらお互いに文句を言っていても、やっぱり好きなんだな。
大人って複雑だ。
・・・・・・・・・・
私に全く興味がないように見えた父は、私が大学生になってから妙に私に関心を持つようになった。
父としての役割の荷が下りたのか。
ただ単に子供との接し方が分からない人だったのか。
社会人になって実家に帰ったある日、近所にクラフトビール居酒屋ができているという。
母は飲まないので、父と出かけることになった。
3杯ほど美味しいコクたっぷりのビールを飲んで、喋って笑った。
「2件目行こう!」と父。
職場の人に教えてもらった、洋館を改造したお洒落なバーでボンベイサファイア (ジン)を飲んだ。うまい!
帰り道、父は大丈夫に見えた。駅のプラットフォームの自動販売機でお茶を買ってくれた。取り出し口から取り出したお茶をポトリと落としてから、自分が酔っていることに気がついた。
アパートに着いたら父は陽気になっていた。
なぜか妹の名前を呼びながら「◯◯ちゃん起きて〜!帰ってきたよ〜!」と甘えている。
その後、父は自分の部屋の布団の上に倒れこんで爆睡。地響きのようないびき。
私はアパートのお湯の出し方がわからないままお風呂に入ってしまい、冷水を頭から浴びることになった。
次の日、母は案の条、呆れ顔。
「何よ、お父さんの『◯◯ちゃん起きて〜!』って!自分の娘に潰されたの?」
「うう〜んそうだっけ?覚えてないなあ〜」と父。
「いやあ、私がお父さん潰しちゃったというか、私も冷水シャワー浴びちゃったからさ、、、」と言ったものの、母は聞いていない。
「でも、ヒロコはシャワー浴びたんでしょう?布団に倒れこんでないし」と母。そこはポイントじゃない。
その後、母は父の失態を何度もネタにしていた。母はちょっと嬉しそうだ。父は聞き流している。
父がパリに来てくれるのを待っている。
母は日本を出たくない人。
私の妹が施設に預けられるのを極度に嫌がるので、わざわざその妹を預けてまで海外旅行したいと思わないのだろう。妹を海外に連れてくるのも大変だ。
父なら出てきてくれるかもしれない。
お父さん、いっしょにバーに行きましょう。パリで。
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