お題「空の写真」/ 諸行無常のパリ
今週のお題「空の写真」
パリの日差しは半端なく強い。
下の写真はビザ更新をした機関の建物だが、この朝日の差し方を見よ!キパーンという音が聞こえてきそうだ。
この写真は、「パリの熱海」(と勝手に私が呼んでいる)アンギャン・レヴァンという町の湖。この日の空も雲があるものの、絶好調だった。
天気が良いのは良いことだ!
でも、私は変人に見えるのを覚悟でアームカバーに帽子だ。
日傘を差している人が皆無なので、さすがに日傘は差さないけれど、数日間、日焼け止めだけで外出していたら腕がヒリヒリ、ジンジンと痛くなった。夜はかあっと熱をもって軽く火傷状態。
数年前に日光アレルギーになったので、フランスの日差しは大敵。周りに馴染みたかったので服装は気にしていたけれど、所詮、アジア人の顔をしている時点で、地元の人じゃないことはバレバレだろう(最近はフランスで生まれてフランス人のアジア系ももちろんいるみたいだけど)。そう思ったらふっきれた。思いっきり外国人を楽しむことにした。
パリのど真ん中で、農家のオバさんの格好だが、気にしない(もちろんサンダルは履かずスニーカーだ)。
ところで、エアコンなしでオーブン210度ばりの灼熱地獄でも、フランス人はカフェテラスでランチしたり飲んだりしている。
ここまでくると根性じゃないか。
「冬は本当に1日短いし、暗いからね。今、思いっきり楽しんでいるんだよ。」とは夫の言葉。
夫がパリに来たのは2月。
確かに当時夫がLINEで送ってきた写真では、晴れている昼間でも雨が降っているかのような曇り空だった。路上に誰もいなかったし、夫が出勤する朝7:00頃は夜中のように真っ暗だった。
こんな暗いとこに引っ越すのか!?
と気分が暗くなったことも。
今日の気温は40度。エアコンなし。
でもカフェ店内ではなく、テラスで食べている人も普通にいた。
これでも太陽が好きか、フランス人よ?
体内温度調整機能、壊れていないか?
普通に厳しい暑さだぞ?
「あああ!マックはエアコンある!」
とか言っているのは外国人だけである。
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人には無頓着だった私が、月・火のフランス語の先生ダイアンがもう授業をやらないことを知って落ち込んでしまった。
ダイアンの授業自体は全く面白くない(ごめんなさい)。
水・金の授業を新しく始めたジェニファー(ジェニファー・ローレンスに激似で即効ファンになってしまった)のほうが、授業内容に外国人があまり知らないようなフランス文学作品や仏語作文を取り入れたりして、オリジナリティ溢れている。本人は文学や言語学が大好きで、授業をしていても楽しそうだ(たまに難しくてウトウトしてしまったりするけれど)。フランス語を使うだけでなく、知的好奇心も満たされるような授業で大満足。
それに比べてダイアンの授業はただテキストに従うだけ。テキストを使わないときは別の機会で使ったかのようなテキストのコピーか、もしくは昔々の映画の一部を見せてリスニング強化か。とにかく型にはまってる。新しいことは何もない。
しかも、二児の母?だからか、大学生の年齢の子はもちろん、30代の私も幼稚園児扱いだ。
もちろんフランス語が話せないんだから、仕方ないかもしれないけれど、、、
しかも、生徒がミスるとクスクス笑ってたりする!おいおい。
それでダイアンの授業には文句タラタラで、どうにかならないかなーと思っていた。
そして今日、ダイアンが担当から外れたのを知ったのである。
語学学校は毎週月曜日に新しい生徒が入ってきて、1週間単位で授業を受けられる。
それで、短期で辞める生徒もいれば、1年以上通う生徒もいる。
私が入ったレベル2のクラスは、多い時で9人くらいいたのが、私とクラシック歌手を目指している韓国人女子だけになってしまったらしい。
今日のダイアンの話によると、レベル2のクラスは今日時点でその2人だけなので、ダイアンのクラスは成立せず、来週から一つ上のクラスに合流することになった、とのこと。
20代後半から上の年齢の生徒はあらかじめ「今週が最後の授業です」と先生に告げる。
先生も金曜日になると「◯◯さんは今日が最後よ」とみんなの前で伝え、生徒各々別れの挨拶をする。それが慣習だった。
だが、大学生の年齢の生徒は、そもそも先生に授業最終日を伝えているか不明。
みんな普段から結構授業を休んだりするので、いつのまにかクラスから永遠にいなくなっているパターンが多い(中国人、韓国人の学生コミュニティー内では共有されているのだろう)。
また、最後の授業の挨拶を儀式化してくれていたヒラリー先生も、6月末で退職していた(ジェニファーが新しい先生だ)。
よって、何がなんだがわからないまま、ここ数週間は別の一つ上のクラスと一緒に授業を受けていた。
でもダイアンが2クラス合同授業の先生だったから、違和感はなかった。
別の先生に教わるのと、レベルが上がるのは楽しみだが、すごく寂しい。
ダイアンの授業を家であんなにこき下ろしていたのに、いざダイアンが先生じゃなくなるとなると寂しいと言い出すなんて身勝手だ。
だが、胸が痛くなるほどキリキリと悲しい気持ちで家に帰ってきた。
本当にパリは人の出入りが激しい。
語学学校の先生はこんな感じでやたらと変わるし。
外国人と友達を作っても、数ヶ月・数年で自国に帰ってしまう。
最近、フェースブックの外国人グループの女の子にランチに誘ってもらった。
その子も雑談中に
「パリなんて、ずっといるところじゃないもんね!」と言っていた。
私が唖然としていると
「まあ、ずっとパリに住むケースもあるんだろうけど、人生何が起こるかわからないじゃん?」
とのことである。
ごもっともである。
パリにいると諸行無常感が強くて、時に落ち込むくらい寂しい時がある。
いつからこんな田舎のオババみたいな思考になったんだろう。
まあ、どっちかというと、「みんなに置いていかれるよお!ひとりぼっちだよお!」と心の中で泣き叫んでいる、甘ったれの幼稚園児か。
日本にいる時は、仕事以外で変化がなさすぎて、つまらないくらいに思っていた(仕事は嫌になるほど変化だらけだった)。
元来「環境変化大好き!」な性格のはずなのに、何が起こったんだ。
悲しみと寂しさにくれながら、帰り道、無意識に
「(パリで)ずっと変わらない、安心できるものはないのか」
と考えていた。
古い建物や町並みだけがずっと変わらないのかもしれない。
少なくとも私のような外国人にはパリは変化が激しい環境のようだ。
最近、私の中でしっくりきているイメージは
「パリは宿場町」
というものだ。
短期客から長期客までいるけれど、みんなにとってパリは経過地。
別に行き先があるのだ。
私の行き先はどこなんだ?
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気がつかないうちに、知らない人に親近感を抱いていることがある。
以前、パリのアパートのベッドが良すぎて、朝なかなか起きれないと書いたことがあった。
最近は周りの物音で起きる。
パリのアパート全部がそうかは分からないが、私の住んでいるような古いアパートは防音性がゼロだ。
部屋にエアコンがないため、窓を常に開けている。
一階に住んでいるのだが、その寝室は中庭に面している。中庭で人が夜中に雑談していたりすると丸聞こえだ。
先週、深夜1:30ごろにセックスしている声が聞こえて起こされた(私は耳栓をして寝ているのに!)。
しかも、お尻の脂肪(か、太もも)がたぷんたぷん揺れている音まで聞こえた(想像したくない)。
しかも、2日間続いた。
最悪だった。
通りを歩いていたら、うちと似たようなアパートの一階の部屋からラテン系のノリノリの音楽が大音量で聴こえてきたことがあった。
ってことは私の部屋からも音は漏れてるってことだ。
とにかく、最近はアパート住民が大抵7:30頃に起きて物音を立て始めるのに気がついて、一緒に起きるようになった。
子供の頃、朝に母や妹が起きる音を聞いて、「もうちょっと、もうちょっと」と思いながら寝ていたのを思い出す。
しかし、今はアパート住民の物音を聞くと「私だけ寝ててもなんだかなー」という気になるのだ。
管理人さんも7:30から仕事を始めるようだ。
一階の部屋なので表通りの音が丸聞こえで、管理人さんが目の前の通りで掃き掃除をしている音はバッチリ聞こえる。
玄関で掃除機をかけている音も聞こえる。
「おっ、今日も仕事してるな!」と親近感がわく。
この心理って、近所の人の動きを気にしているウチのおばあちゃんみたいだ、と最近気がついた。
勝手に近所の人とお仲間気分だ。
ちなみにこのアパートの住民、他人が通る時は進んでドアを押さえてあげたり、重いものを持ってて玄関のドアを開けるのに苦労していると自分の代わりに開けてくれたりする(おばあさんに開けてもらったことも!)
優しいな。
余計に情が移るわけだ。
寂しい時はウチのアパート住民と心のなかで繋がればいいか。
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