ニート in パリ - 行けっ森蔵!

偶然フランスはパリに移住することになった30代女子の生活。なぜか画家のベルト・モリゾに惹かれている。

(ネタバレあり)クイア・アイ ジャパンに異議申す

学校休暇中のイギリス旅行は、LCCを使った。
つまり、食事は出ないし、映画もない。
行きはテキトーに過ごしていたのだが、ふと、最終日の夜にNetFlixを立ち上げると、Queer Eyeの日本ロケバージョンがあるじゃないか!

 

もともと(自分はドストレートだが)LGBTQに興味があった。
私は個性的な人たちに惹かれるタチだ。

ゲイのエキスパートたちが悩める人たちを食、インテリア、洋服、髪型、自己啓発の面から変えていく番組は、変身系の番組がもともと好きだった私にピッタリだ。昔、母と午後のワイドショーでの「ピーコのファッションチェック」や、「奥様変身」をよく見ていた。懐かしい。


NetFlixでシーズンが更新される度に、社会人時代は10エピソードを1週間で、パリに来てからは1日・2日で見切ってしまう。

5人のゲイのエキスパートが優しく、面白く、前向きな態度で相手の改造に取り組み、番組を見終わった後には気分が上がる。

 

そんな番組の日本ロケバージョン。

 

日本人として、また日本人がエキゾチックに描かれるのではと不安だった。

 

昨日イギリスからフランスに帰るフライトと、家に帰ってからで4エピソード(各50分)全部見てしまった。


なかなか良かった。
日本の文化的特徴をちゃんと5人に叩き込んでいるんだろうなと思えた。
洋服や髪型の変身も、あまりやりすぎず、本人たちが気負わなくて良い日本スタイルだ。
料理もオムライスや麻婆豆腐。

インテリアは小さいアパートのスペースを最大限に生かした改造。
アメリカ文化の押し付けではなく、あくまで日本の文脈での大変身番組だった。

 

全体的な演出として「日本のアニメ文化や伝統家屋・着物のエキゾチックさを前に出しすぎ」と思うものの、まあ、外国人の目にそのように移るなら、仕方ない。
水原希子の起用も、その奇抜に演出されたルックスも、5人の存在感に合わせようとしてのことだろう。

 

全体的には良かったのだが、すごく気になるところがあった。


番組やファブ5のインタビューによると、日本のヒーロー(改造される側の人を番組では「ヒーロー」と呼ぶ)たちの抱える問題は大きく分けて下記の2つのようだ。

 

1. 問題は家族間のコミュニケーション不足にある。ちゃんと言いたいことを言おう。
2. 問題は自分を押し殺しすぎることにある。もっと自分を出そう。

 

ファブ5の言いたいことはわかる。
確かにそうだし、納得できる。
「(この問題は)国関係なく誰にでも当てはまること」という論も分かる。

 

でも、日本におけるそもそもの原因は何なのか。

日本人であれば誰でも分かる。

 

1. 問題は家族間のコミュニケーション不足にある

 

→日本家庭では、お互いの「気持ち」についてそもそも話さないのが普通。

ちなみに、弟と両親との不和があった際、私が自分の両親にそれをやろうとして「あの時はお母さんはどう思ったの?」なんて聞いたら、LINEの返信が来なくなったし、父は「ヒロコの言っているようには思っていないよ」と一言言うだけ。

 

→日本家庭では問題が発生した際「とことん本音で話合って解決しようぜ!」とはならない(体育会系の会社であればありうる=仕事であればありうる)。
人の意見とその人の人格を切り離せないので、「とことん本音で話し合う」ことで大抵感情的になってしまい、不和に終わってしまう。

もしやるとすると、遠慮しながら話し合って、お互いの腹のなかを読みつつ合意に至るのが日本式だ。それにはすごーく時間がかかる。

 

→そもそも日本社会では空気を読むのが良いとされている(家族間では多少空気を読まなくても良いかもしれないけれど)。

直球で質問したら(「お母さんは何を考えてるわけ?」等)家族間であってもお互いギョッとする。
深いコミュニケーションをしたければ、空気を読んで良いタイミングで、しっかりマイルドで回りくどい質問をして、その際の相手の表情とか、言葉遣いから本意を伺うしかない。

 


2. 問題は自分を押し殺しすぎることにある。もっと自分を出そう。


→ヒーローが言っていたように、日本社会で生き抜くには、自分を抑える方が賢明だ。

あまりにも自分そのままでいくと、イジメられるし「他人への配慮ができないヤツ」ということになって損。

私の社会人2年目までが正にそのケースだ。

 

→日本において「自分を出すこと」=「自己主張すること」は、度を過ぎると「偉そう」「ずうずうしい」「自己本位」とみなされる。イチローが当初日本人に好かれなかったのも、ホリエモンが好かれないのも、彼らの自己主張の強さだし「愛想のなさ」なのではないか。

自己本位に振る舞うのは、他人の心や目に気をつかうことを良しとする日本文化ではタブーだ。
その文脈の中で「自分を出せ」と言われるのは、崖から飛び降りろと言われるのとほぼ同じだ。

 

上記を分かっていて自分をあえてさらけ出す場合

「もう他人の目なんか気にしないし、自分のコミュニティ(会社・それまでの友達)なんか、捨てる!悪口言われても気にしない!」

という強い決心が必要だ。
もしくは
「俺・私はこういう尖ったキャラでやっていく!」
という、これまた並々ならぬ決意が必要だ。

 

今回の日本のヒーローたちが抱える葛藤の原因は、


日本社会でのサバイバルを学習した結果、人とコミュニケーションを取らなくなったし、自分を押し殺すようになった。」

 

というところにあるのではないか。

その社会で生き抜くために身につけた習慣の場合、それを止めろと言うのは自殺しろと言っている状態に近い。

 

 

 

番組全体としては、

「私たちのアイデンティティの問題は、国や文化関係なしに共通で、みんな他人から認められたり愛されたりすることが必要なのだ」
の結論で終わっていたように見えた。

 

私の大好きなファブ5のアドバイスはごもっともだけれど、日本の文脈と合わせて考えると、もっと問題は根深いと思う。

 

日本社会が良しとする謙虚さや気遣いがグローバル化や時代の中で実態に合わなくなってきている一方で、その価値観は依然としてはびこっている。その状況におかれた現代の日本人がハッピーになるにはどうしたら良いか。

 

そこに課題設定をした場合であっても、結論はもしかしたら変わらないかもしれない。


確かにコミュニケーションは(仕事だけでなく)家族間でも大事だ。
確かに自分を押し殺すと不幸になるから、自分を出していくことが大事だ。

 

しかし、それを、自分たちが生きている環境と折り合いをつけながらやるにはどうしたら良いのか。


ファブ5からの画一的なアドバイスはヒントにすぎず、結局は私たち一人一人が置かれた状況と、自分の性格や好みを考えて出す答えが大切だ。
私たちひとりひとりが柔軟になるのだ。

 

その自己発見の中で、「もう日本は嫌だ」という結論が出たなら、国を離れるのも仕方ないのでは。
その自己発見の中で、「やっぱり私は他人を優先したい」という結論が出たなら、自分を後回しにすることが多くなっても仕方ないのでは。
その自己発見の中で、「やっぱり自分の親に本音をぶつけたり、話合いたくない」という結論が出たなら、なんとかして家を出るしかないのでは。

 

〇〇すべし」という自己啓発系のアドバイスに盲目に従うのではなく、

その人にとって居心地の良い価値観で生きていったら良い、

と教えてあげられないか。

 

日本のケースでは、ファブ5が自分探しの方法を教えてくれ、かつ番組でもやり方を見せてくれると、ヒーローだけでなく視聴者にとって、より意義深い体験になるのでは。

 

大好きなファブ5と番組制作者の方々、より深い番組を、何卒よろしくお願いします。