ニート in パリ - 行けっ森蔵!

偶然フランスはパリに移住することになった30代女子の生活。なぜか画家のベルト・モリゾに惹かれている。

(ハウツー) 留学しないで日本国内で英語を身につける方法_その2

私が実施した学習法(と習慣)

 

1. NHKのラジオ英会話を小5から大学一年生まで毎日聴き続け、毎日書き取り・音読の時間を取る(30分〜)。中学2年生くらいまでは、レッスンの会話(ダイアローグ)を暗記していた。
2. 英検を年一回ずつ受験し、2級までとる。
3. 大学生で英語部(ESS)に入部し、他大学の学生とのディスカッションに参加する(月二回ほど)
4. 英語部の週末観光ガイドの活動に参加する(月一回ほど)
5. 大学の専攻は英語を使う科目にする(言語学西洋史学)
6. 上記の間、洋楽を聴きまくる。英語の歌詞と和訳を確認、好きな歌は歌う(自分の人生のアンセムにする)。
7. 洋楽で歌える歌はカラオケでも歌う。
8. 洋画も積極的に見る。金曜・土曜・日曜ロードショーの洋画が大好きだった。

 

英語学習回想録 – 高校生〜大学生


基礎英語と熱血指導の祖父のお陰で基礎が身についた私にとって高校英語はすごく簡単だった。むしろ私が実感したのは国語力のなさである。高校の英語の教科書は難解なドキュメンタリーや論文を英語で読ませるようなもので、内容は高校生にとってあまり面白くないし、やたらと一文一文が長いので、文法もさることながら、分かりやすくかつ直接の意味から外れないようにするさじ加減がよく分からなかった。よく世の中で、映画の字幕での日本語が英語と比べると誤訳だと言われることがあるが、少ない文字数の中で文脈も考えながら自然な日本語にしようとするからだろう。高校英語の長文和訳もそれくらい柔軟に和訳しても良いのに、直訳だと不自然、でも意訳だと外れすぎ、と判断される。そもそもそのさじ加減を調整するための日本語の語彙力が、国語が苦手な私にはなかった。英語はまだ好きだったし貴重な得点源だったけれど、和訳ばかりで疲れてしまった。この時期はNHKの英会話入門を聞いていた。かの有名な遠山顕先生の番組である。英会話入門の後は毎年遠山顕先生の講座を見つけては聞いていたように記憶している。ダジャレが大好きな私は遠山先生の授業が楽しくて仕方なかった。


高校の友達とカラオケに行くと、全く空気を読まずに洋楽の歌を歌いまくっていた。洋楽に陶酔していたのである。仙台駅に行くと必ずHMVに立ち寄って最新の洋楽アルバムを聴き漁ったり、フリーペーパーのインタビューを読んだりした。本屋では洋楽や洋画雑誌を買って、流行りのアーティストや俳優たちのインタビューをチェックした。私の高校生の時代は丁度ロックが流行っていて、アヴリル・ラヴィーンが新人アーティストとして出てきたり、リンキンパークがロックとヒップホップを融合させたり(今でもメテオラのアルバムの表紙を覚えている)、アイドルとしてはディズニーのドラマに出ていた(らしい。両親がケーブルテレビを入れてなかったから仙台では見れなかった)ヒラリー・ダフがヒットしていたり。ブリトニー・スピアーズはもうポップの定番になっていて、キャリアとしてはノリに乗っていた時代。ノラ・ジョーンズが新人として出てきていきなりグラミー賞を取りまくったり。

NHKの基礎英語で耳を鍛え、ラジオ英会話の音読や学校の授業の音読だけなく、洋楽を歌ったりしていた私は自然に発音も鍛えられた。やはり「好きはものの上手なれ」か。

 

高校生時代に英語圏への憧れが爆発し、仙台の高校がアメリカのデラウェアの高校と春休み限定の交換留学をすることに決めた時は真っ先に応募した。今まで私の高校から不合格になった学生はいなかったようだが、なんと落ちてしまった。担当者との面談はなかったような気がするのだが、何が原因で落ちてしまったのか。私の後の回には知り合いの女の子が合格していた。ただ単に高校英語の先生に好かれていなかったとか、そもそもその回はなくなったとか、大人の事情か。

 

高校時代に世界史の授業が大好きで、世界史も受験科目として味方につけ望んだ大学受験ではありがたいことに東京にある志望校に合格。模試では最後までC判定だったので、合格は絶対無理だと思っていたが、一旦やってみて失敗するほうが、やらないで後悔するより良いと思った。もし一般受験で落ちたら、論説文で受験しようと、国語の先生が文章を添削してくれるのをよいことに、どんどん提出した。この時に初めて私の文章力や国語力そのものに対する苦手がなくなった。「勝ちパターン」(得点が取れるパターン)が見えたのである。普段の国語の授業では何を理解すれば良いのか掴み所がなく(黒板には教科書の文章と先生が文章と文章を結びつける矢印がたくさんあり、まるで難解な近代の抽象アートを見ているみたいだった)、進研ゼミの受験対策講座では多少文章の構造を捉えるやり方は分かったけれど、どこをどうすればできるようになるかがはっきりしないと思っていた。論説文を自分で書いて手を動かして自分の頭で考えることで、なんとなくどう書けば良いか・どう文章を理解すれば良いかがわかるようになった。

 

国語も味方につけ、志望校にも合格し、前途洋々と大学生活を迎えるも、大学での英語の授業レベルは高校時代のレベルに及ばず、先行の言語学は英語のなりたちを教えるばかりで、自分には合わないのを感じ絶望。「あんなにガリ勉したのに、待っていたのがコレかよ」と友達に頻繁にこぼし、私より大人でかつ人生に冷めている友達からは「大学なってそんなもんだって」と慰められるが、慰めになっていない。大学生は必修科目数を埋めるために授業を選択するが、その中でたまたま履修した世界史の授業がものすごく面白く「私が求めていたのはこれだ!」と思えた。英語は好きだけど、英語を知りたいのではなく、英語を使って何かしたいのである。世界史の先生たちはユルい人間関係で成り立っていたが、先生同士はお互い尊敬しあっているようで、後々考えると外資系企業の人間関係のようなドライな空気感だ。イギリス史の先生に転籍したい旨申し出ると、フランス史の先生がお世話してくれるからと言われ、フランス史の先生に手続きをしてもらった。詳しくは覚えておらず、恩知らずな私である。

史学科に転籍してからは、特に卒論前は英語論文を読み漁った。受験で国語力をつけたと自信満々な私は、卒論では中世のイギリス教会建築の歴史をテーマにすることにし、ゼミでも英語論文を和訳した概要を発表したが、そもそも根本的に建築を理解していなかったらしく、先生からは「あなたの話は全く理解できない。教職免許とっていずれ先生になるのであればちゃんと理解してから話をしないと伝わらないよ」と酷評された。英語を和訳する際に、そもそもその元の英語の内容が理解できなければ、日本語にしても意味が伝わらないというイタイ教訓だった。

 

大学1年生のころ言語学の学生に紹介されて入部した英語部では、日本人相手だったけれど英語を話す機会ができて大興奮だった。「がんばって合格した大学なんてこんなものか」とグレていた私にワクワクする部活動ができた。月に数回、交流のある大学がそれぞれ自分の大学でディスカッションのイベントを実施すると、関東の80人以上の学生が集まった。1グループ最大8人ほどに学生を分け、決まったテーマで朝10:00ごろから14:00ごろまで会話させた。自分の大学のみならず他大学の先輩たちで英語を上手に話すメンバーがいると良い刺激を受けた。また、大学2年生のころから観光ガイドの活動にも誘われ、皇居の入り口で外国人を「逆ナンパ」し、「英語を勉強したいので無料ガイドに付き合ってくれませんか」とお願いし英語でガイドした。日本IKEAの創設メンバーをガイドした時は事の重大性に気がついていなかったが、後々IKEAが有名になってから「もしやあのグループがそうだったのでは」と思い出しては「サインをもらえばよかった」と思った(笑)。

 

ディスカッションとガイドで英語のアウトプットをすることで鍛えられた私は、英語が話せるようになった。大学の専攻学科でも英語論文に触れることで、長文を苦なく読めるようになった(きちんと内容を理解していたかどうかは怪しい。私は細かいのが苦手なのである!学者向きではないことも悟った)。この時期には世の中ではYouTubeが出始め、大好きな洋楽アーティストや洋画の俳優のインタビューやライブがインターネットで観れるようになった。気がついたら字幕のないインタビューをそのままYouTubeで見ていた。気がついた時、静かな感動を覚えたのを覚えている。英語ができるって最高だ!

 

(ハウツー) 留学しないで日本で英語を身につける方法_その1

社会人経験も10年近くになり、節目を感じて今までの人生を振り返ってみたら、英語が私のいつもそばにいたことに気がついた。外資系企業に勤めるまでになった英語学習法をまとめようと書き出したら、回想録化してしまった(笑)ため、まず私が実施した学習法(と習慣)をまとめる。

 

1. NHKのラジオ英会話を小5から大学一年生まで毎日聴き続け、毎日書き取り・音読の時間を取る(30分〜)。中学2年生くらいまでは、レッスンの会話(ダイアローグ)を暗記していた。
2. 英検を年一回ずつ受験し、2級までとる。
3. 大学生で英語部(ESS)に入部し、他大学の学生とのディスカッションに参加する(月二回ほど)
4. 英語部の週末観光ガイドの活動に参加する(月一回ほど)
5. 上記の間、洋楽を聴きまくる。英語の歌詞と和訳を確認、好きな歌は歌う(人生のアンセムにする)。
6. 洋楽で歌える歌はカラオケでも周りの空気を読まずに歌いまくる。(「洋楽縛り」が欲しい!)
7. 洋画も積極的に見る。金曜・土曜・日曜ロードショーの洋画が大好きだった。

 

ここからが今後シリーズ化する回想録である。

 

英語学習回想録 – 小学生〜中学生


仙台で生まれ育った私はひたすら英語を話せる人にあこがれていた。いつ憧れが始まったのかは覚えていない。考えてみると小学4年生までは英語に対しては大して何も感じていなかったように思う。母がビリー・ジョエル、ホール&オーツ、フィル・コリンズ、父がサイモン&ガーファンクル等のCDを持っていて、母の実家の川崎に行く時は高速道路の道中の車内で聞いていた。ホール&オーツの「プライベートアイズ」が「カレーライス」に聞こえる、と母と弟と大笑いしていた。小学生の時の懐かしい思い出である。


父は昔、英会話レッスンのカセットを持っていて「海外出張前は車の中で聞いていた」と話していた。父は英語が話せたが、私が小学校5年生になり「NHKのラジオ英会話を聞かないか」と誘われるまで父がすごいとはあまり意識していなかった。父が「お父さんは英語が下手」と言っていたのも「お父さんカッコいい!」と思わなかった所以かもしれない。長女に良いところを見せたいと思わなかったのか。あまりにも正直な(よく言えば謙虚な)父である。英語を話せるのがなんとなくカッコいいと思った私は父にNHKラジオ基礎英語1のテキストを買ってもらいラジオを午後6:15から毎日15分ずつ聴き始めた。会話(ダイアローグ)は隔日で更新されるので、2日間同じ会話を練習できる。三人称が出てくるまでは楽しくわかりやすかったが、理屈が分からないと理解の進まない性格の私は、まず三人称でつまづいた。その後、三単現でつまづいた。母方の祖父が大学で英会話を教えていたため、質問してみたがよくわからない。父曰く「わからなくてもまず続けることが大事だ」とのことで、わけがわからなくても基礎英語の面白いダイアローグのおかげで、まずは1年間聴き終えた。私はその頃、ショートカットに短パンの、男の子によく間違われるような子供だったが、中身は(土曜日朝のアニメの)マーマレードボーイが好きな「乙女」だったので、恋愛要素もちゃんと入ってる基礎英語のダイアローグは楽しかった。英語学習2年目である小学校6年生では、もう一年NHKの基礎英語1を聞くことにするのだが、今回はちゃんと文法もわかるようになろうと心に誓う。再びつまづいた三人称や三単現については祖父に質問しまくる。なんとなくわかった気になったので(これが前に進むためには結構大事)、中学1年では基礎英語2、中学2年では基礎英語3を聴き、中学3年では英会話入門にチャレンジ。NHKの基礎英語1は中学1年生用、基礎英語2は中学2年生用、基礎英語3は中学3年生用でレベルが設定されているようだったので、私のやり方だと、一年分先の学習ができることになる。もちろんついていけるかどうかの心配もあったので、中学2年生では基礎英語2と3を並行して聞いていた。このお陰で中学校での英語の授業は簡単だった、、、大体は。
昔よく郵便受けに入っていた進研ゼミのDMみたいに、進研ゼミを始めたら勉強も部活も恋愛もうまくいって人生バラ色、というプロットみたいにはうまくいかないのが人生。なんと、私の公立の中学校の英語の先生は言語学が大好きで、「S(主語)」、「V(動詞)」、「O(目的語)」等に飽き足らず、自分で文法用語を考え出しプリントを自作し生徒に毎授業ごとに配布、定期考査でも出題したのである。そのプリントのために生徒が各自用意したファイルは一年ごとに各厚さ3センチほどになったように記憶している(ちょっと盛りすぎか)。音声学も言語学の一要素なので授業に力が入っており、破裂摩擦音を発音する際に、自分の口の前にティッシュをかざさせ、自分たちのBやPの発音で発生する息(というかツバ)でティッシュが向こう側に吹き飛ばされるかチェックさせていた。私は何せ基礎英語で鍛えられているので英語はフィーリングでやっていたのだが、中学英語の先生のせいで、大の苦手な文法が目の前に立ちはだかった。幸い、中学英語の先生は英会話にも力を入れていて、英問英答させたので、そこでは活躍できた。教育熱心な祖父がいたのも救われた。年4回の定期考査のたびに川崎から仙台に指導に来てくれた。その祖父も、中学校の先生の自作文法プリントには飽き飽きしており「こんなのを中学生にやらせるのは早すぎる。英語嫌いにしてしまう。」とよく言っていた。祖父がいなければ「オリジナル文法」の出題の入った定期考査で9割得点できなかったと思うし、学生時代の確固たる英語に対する自信はつかなかった気がする。(やはり思春期の自信は以後の人生に大事なののだ!!)数学や理科が苦手、かつ国語も苦手な私は、定期考査や高校入試になると英語だけが頼りだった。


祖父は英検が大好きで、初孫の私が英語が好きで得意だと気がつくと大変喜び、積極的に英検にチャレンジさせた。中学2年で3級、中学3年で準2級、高校1年で2級を受験させた。祖父の熱血指導のお陰で毎回合格。自分の中で幸か不幸か「自分は試験が得意神話」ができてしまった。必ずしもそうではないのは後々社会人になってからわかるのだが、、、(人生は辛い)
ただ、熱血指導の祖父のお陰で定期考査直前でも毎日2時間以上英語に時間を取られており、教科書のボリュームや科目が中学校に比べて3倍ほどになった(少なくとも自分ではそんな気がしている)高校になってからは、英語だけにそこまで時間を使うのは現実的ではないと思われ、仙台に来てもらう頻度は減った。

指輪物語とホビットの冒険とマーティン・フリーマンと

夏休みの海外旅行の際、トルコ航空で私の大好きな映画を発見してしまった。ピータージャクソンの指輪物語シリーズだ。高校生の頃に映画館で見て、面白さに取り憑かれてしまった。3シリーズ全て映画館で見たし、その後図書館で指輪物語の本も読んだ。話がすごく長く(これが本当の「労働オブ・ザ・リング」だ)、登場人物は多く、また映画と比べる人物の描写がいささか単純だったのを覚えている。映画と比べると、原作では過去の出来事や人間関係や劣等感によって深刻に思いつめている人物はほぼおらず、よって誰も人を裏切ったり意地悪せず「みんな良い人」だった。悪役のサウロン、サルマン、ゴブリンやオークはただ単純に悪いだけで、味方はとにかく「良い人」。これはこれで昔のハリウッド映画みたいですっきり気持ちよくて良い。そのおかげで映画の面白さが際立った。ピータージャクソン最高。絶対ニュージーランドホビット庄に行くぞ!と高校生の私は思った。その夢を叶えようと先日ツアーを探し、会社の人事システムから来年の有給を申請した。ツアー代は10日間で40万。ちーん。緊縮財政をしかなければいけない。

 

飛行機の中ではホビットの冒険を見た。BBCのドラマ「Sherlock」でマーティン・フリーマンの演技のうまさに感動してからというもの(「フツウの人」を演じたらピカイチだと思う)、ホビットの冒険も見なくてはと思っていた。案の定、演技がすごかった。マーティン・フリーマン演じるビルボのホビット穴でのシーンでの立ち回りが「ロード・オブ・ザ・リング」のビルボ役のイアン・ホルムの動きにそっくりなのだ。「Sherlock」でのワトソンの動きと全く違ってびっくりした(役が違うから当然かもしれないが)。マーティン・フリーマンのお陰で物語が面白く感じられた気がする。「ロード・オブ・ザ・リング」ではレゴラス役のオーランド・ブルームがひたすら美しく、「パイレーツ・オブ・カリビアン」もオーランド・ブルーム目当てで見たが、残念、オーランド・ブルームのお陰で物語が面白くなることはなかった。。。演技の上手い俳優が物語自体を面白くしてしまうのに気がついたのは、「食べて祈って恋をして」だった。原作の”Eat, Play, Love”を(内容はお決まりだなと思うものの)楽しく読み、映画もレンタルで見てみたが、軽いノリの海外ドラマか観光ビデオを見ているかのようで全く面白くなかった。しかし、映画後半でアカデミー俳優ハビエル・バルデムが出てきた途端、一級のヒューマンドラマになってしまった。映画のあまりの変わりように、同居人と目を丸くしたのを覚えている。

マーティン・フリーマンの演技で面白くなった映画「ホビットの冒険」の一話目を見た後で、単行本をアマゾンで買って読んだ。後ろには「小学5・6年生以上向け」と書いてあり、アマゾンのレビューでも子供向けと書いてあったが、ところがどっこい、内容は完全に大人向けなのである。ドワーフの現金な性格や、当初足手まといだったビルボが使えるヤツだとわかってからの身の返し様、当初自信がなかったビルボがドワーフに次第に頼られていくうちにドワーフを多少「ウザい」と感じてしまうところ、ドワーフバーリンがビルボの人柄に心から感動してビルボと後々も仲良くなるところ、旅から帰った後ビルボの故郷のホビット庄の人々からは(ホビットは普通であれば旅などしない民族なので)一生変人扱いされるところなど、むしろ職場の人間関係や現実の近所づきあいに近いようなリアルな人間模様なのだ。登場人物同士の絡みが妙に現実味を帯びていて共感をよぶ。また、物語の展開のテンポもよく、飽きることのないボリュームもちょうど良い。気がついたら通勤電車で数日ゆられながら単行本上下巻を読み終わってしまっていた。ここまで面白いと「指輪物語」より面白いかもしれない。まるでのちのち大物になるバンドのファーストアルバムを聞いた後のような衝撃だ。Wikipediaによると、トールキンの「ホビットの冒険」がヒットした後、出版社が続編の要望をだし、「指輪物語」が出来たのだそうだ。納得だ。

 

肝心の「ホビットの冒険」の映画はAmazon Primeでまだ二作目をレンタル中だ。原作と話が結構違うため戸惑うが(原作のようにビルボをもっと活躍させてほしい!)、これはこれで別物という感じだ。原作はビルボが主人公だったが、映画はどちらかというとドワーフに焦点が当たっている感じか。ピーター・ジャクソンへの尊敬はまだ消えてない。

 

(よもや話)トルコLove

同居人くんと夏休みが取れ、トルコ(イスタンブールイズミール)とギリシャ(アテネサントリーニ)に行ってきた。先週は仕事復帰、旅の幸せ感も、月曜日に曇り空、火曜日には土砂降り、水曜日には台風が(もちろん心の中で)起きて、木曜日は絶望感。はやり、いずれは平日も楽しい気分でいられるように、会社を辞めて独立したいという気分が高まった。ちなみに、平日元気が出ない時に聞くYouTubeのラジオはこのシリーズ。自分の夢を追ったり、海外で活躍してみたい人なら響くのではないだろうか。

 

先輩ラジオ:

https://youtu.be/FPmv1i9iNec

 

同居人くんはトルコと仕事で取引しているので、慣れていたせいかリラックスしていた。私は最近海外も一人出張・ひとり旅が多かったので今回2人旅行ということでだいぶ気が抜けていた。そして、イズミール(トルコ)のホテルの金庫に日本円の入った財布を忘れるという大失態!これまでは海外でパスポートなくしたり、高いノイズキャンセリングイヤホンをなくしたりするのは同居人くんだったのに!(失礼)しかし、そのホテルは親切だった。私が気がつく前にメール連絡をくれ、日本に書留で送ってくれた!!うーん、トルコ(少なくともそのホテルのスタッフ)最高じゃないか!本当に大感謝である。

その後に行ったギリシャでは観光施設でもスタッフが無愛想、美術館や遺跡の閉館時間が迫ってくると「はい、時間だぞ、出た、出た!」と観光客を追い出す。チケット買い間違えても「また新しく買って」と仏頂ズラ。紀元前からの遺跡がゴロゴロあってド迫力なのに、人が残念。かたやトルコでは、満員電車で立つ場所がほとんどなくオタオタしている私に地元民が席を譲ってくれた!同居人がいわゆるトルコ版Suicaのチャージ方法がわからないときや、道に迷ってると即教えてくれた。同居人くんが愛用のiPadを出してイスタンブールの港の写真を取っていると「すぐそこにカモメがいるよ、撮ったら?」と教えてくれる。同居人くんは顔立ちがはっきりしていて、同じように濃い顔のトルコの人が親近感を持ってくれたのか?特によく話しかけられて親切にされていた。そんなトルコの人たちは美男美女揃い。ため息。中身も外見も素敵だ。そしてもちちろん、過去にローマ帝国古代ギリシャの一部だったから、もちろん遺跡がゴロゴロ。近代になって西欧化するも、宗教はイスラム教が大半。文化や歴史の層が厚く、興味深い。トルコ、愛してるぞ!

(よもやま話)外資系IT企業の仕事と私

アメリカに本社がある外資系で働いていると人間的におもしろい発見がある。少なくとも私の勤める会社では外国にいる上司や同僚はこんな状態だ。

 

・基本的にメールは読まない(長ければ長いほど)

・メールに書いてあることでも会議を設定し、メールに書いてあることを(再度)口頭で話して合意する

・自分がどう見えるかをすごく気にするため、当人が正義を貫こうとして実際の問題解決が滞る(ある解決法を取ろうとしても「心理的に受け付けない」状態)

・仕事ができるように見せたい人が多い(知識不足や、実際やっていない仕事を隠そうとするので話がデタラメだったり、ロジックが不在だったりする=結局仕事ができない、もしくは知識がないのが他人にバレているはずなのに当人気がついていない)

・責任を負わない(=明らかにミスしていても絶対に謝らない。「自分が○○をやる」とは宣言しない。話を結論付けずにふわふわさせる。)

・仕事をしているように見せかける(会議内容を自分からまとめてシェア、他の人の仕事にツッコミを入れて「わざわざフィードバックをあげる」=他人の仕事にに貢献している感を出す、会議をやたらに設定する。話だけは仕切る(が自分はその先の仕事はしない)

・上記のようにして自分の仕事は減らす、もしくは仕事しないにもかかわらず、他人には仕事をやたらと投げる

・日本式の丁寧な仕事をすると「あなたには仕事へのパッションがある」と言う

・(言葉を発した際)「どういう表情をしているか」よりも「何を言っているか」が大切(明らかに嫌な顔をしながら「○○さんは良くやってくれている」と言っても、だれもそのコメントの信憑性を疑わない)

 

私はますます自分が素朴な人間だということに気がつかされる。私は自分ができるように見えたいとは思わない。もちろんできるように見えたほうが良いが、問題解決や、仕事を完成させるためなら、相手を立てたり、自分がバカに見えることになっても、仕事ができないように見えてもいい。結局仕事が終われば良いし、仕事の出来の良し悪しは結局相手が満足してくれるかどうかだ。自分がどう見えるかは関係ない。それに仕事ができるかのような見せかけは結局はバレるし、後々結局自分自身でトラブル対応できなくなって困るのではないか。

今の会社で働けば働くほど、私は裸の王様に対して「王様は裸だ!」と叫んでいる子供な気分になる。あまり外国人と日本人の違いを極論でもって議論するつもりはないけれど、今の職場で働けば働くほど、自分を着飾る外国人があまりに多いと感じる。それはもしかすると海外でのサバイバルスキルなのかもしれない。仕事ができなくても出来るフリをしてうまくいけば上司に気に入られて昇進するとか?それを考えても、私は海外と戦うにはウブすぎるかもなあ。毎日不器用に戦っている。だからか、上司には正直な性格だとは思われているようだが、贔屓にはしてもらっていない。おべっかは使わないし、出来るように見せてもいないから。給与も外資系に勤めているにしては低い。このあたり、外資系に勤めるキラキライメージが自分のなかでガラガラと崩れたところである。まあ人事=お金を生まない部署=コストだから他の部署に比べて3分の一の給与でも仕方ないのか。

 

日本企業に勤めていた時は毎朝出勤が憂鬱で仕方なかった。日曜の夜が辛かった。外資系に勤める今は幸いそれはなくなったが、毎日足取りが重い。給与が社員一低いせいか下の階級にいる気分だ。川底にある石みたいな私のプライドが次第に会社という川によって徐々に削られているのかもしれない。家に帰ってYouTubeNetflixを見ても心が満たされない。大好きなケーキづくりも、自分のカロリーに影響するとなると、下火になる。

 

こんな愚痴めいた話は自分がヒップホップアーティストなら、ラップにすると面白いのかもしれないと思う秋の夜長である。

 

ちなみに残業続きの夜には笑いも提供してくれるあっさりした味覚がおススメだ。

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(よもやま話)郵便受けはワンダーランド

いつも何かを待ってしまう私がいる。郵便受けをのぞいたり、Lineをチェックしたり(通知をオンにしていないからだが)、Gmailをのぞいたり、FBやInstagramをのぞいたり。別に自分が何か仕掛けているわけではない。誰かに手紙やメールを出したわけではないし、写真を投稿したわけではない。でもなぜかそこにはおもしろいものが転がっている気がしてのぞいてしまう。刺激を外界に求めるタイプなのかもしれない。

 

自分で何か表現して他人に見せることにはあまり興味がない。昔は手芸やら工作、スケッチをしたら必ず両親や祖父母に見せたものだ。褒めてもらえるとうれしい。その日は1日褒め言葉がぐるぐる頭の中を回って、幸せに過ごせる。でもそのうち、祖父が自分の作品を家族に見せ、人に褒めてもらうことを求めているのを見ると、すーっと自己顕示欲が消えていった。私はあまのじゃくなのだ。

 

パティシエを目指して仕事をしながら週末コルドンブルーに通ったことも、自己顕示欲が消えた一因かもしれない。どれほどベストを尽くしてケーキを一台完成させてても、あたりまえだが先生役のフランス人シェフの出来とは天と地との違い。レッスンがあるごとに一人一台ケーキを完成させ、出来上がりを見せて採点してもらうのだが、褒められることはまずない。とにかく「仕上がりが汚い」の一点張りである。他の主婦たちも落ち込んでいる。でも、そんな「出来ない生徒」たち同士でお互い「〜さんのケーキは綺麗」など比べあっていたのだから、今考えてみると視点が狭かったかもしれない。ケーキを散々こき下ろされた、褒められて育つタイプの私は、しばらくケーキを見ても食べてもつまらなくなった。そのうち自分でも気がつかないうちにケーキ作成を再開していてまた家族に味を褒められると意欲が復活する。でも、卒業した他の生徒のように海外で修行したり、自宅で教室を開いたりすることには全く興味がなくなってしまった。自分で楽しく作れれば十分だ。私はレシピを「読書」したり収集したりするのが大好きだ。クックパッドはもう飽きてきて、英語でGoogle検索、海外のレシピを辞書を引きながら作ったり、海外のレシピサイトにメルマガ登録したりする。Gmailで不要なメールを整理していても、レシピのメールは断捨離できない。同じレシピで同じケーキを作ることはまずない。私はただケーキが作りたいだけなのである。

 

しかし、私の同居人が「もし会社辞めて独立したいなら、自分のやっていることを外に発信しないとチャンスは訪れない」と至極真っ当なことを言った。それでブラックホールに向けて発信している気がするので(いや、絶対そうだ)続かなかったブログを再開してみたわけである。まだ読者はいない。あわよくば10年後か20年後、なんらかの形で自分が成功している仮定して、このブログを振り返ったら案外おもしろいかもしれないと思っている。待ってろよ、自分。成功させてやるから。と強気に書いておくことにする。

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Instagram: @hiroko87yamamoto

 

 

(よもやま話)Yogaと美男美女

平日は外資系企業の人事で働いている。新入社員が入社すると略歴と趣味をメールで紹介するのだが、どうも「Yogaの大ファンです」という内容に違和感を覚える。少なくとも私にとってはYogaは個人的な活動だ。猫背で柔軟性・運動神経皆無の体を鍛えて、より健康になるため。また、仕事で病んでいるときに平和な気持ちになるため。心身を支えてくれる活動だ。だから「Yogaが大好きです!」とカミングアウトする気になれない。美しいポーズをSNSにアップしている人には「モデルか!」とツッコミを入れたくなる。

 

それでも、ポーズが上達したときは私も大興奮でFacebookに載せた。でも何か違うのだ。そうだ、すらっとした長い体が欠けてる。私の写真は前向きにとらえても「キューピーちゃんがアスレチックなポーズをしていてすごい!」みたいな感じなのだ。身長の低さとぽっちゃり体型が効いている。

 

考えてみれば、私は(人種関係なく)明らかな美男美女が苦手だ。普段は外人相手に態度がデカイ私も、美男美女だったりすると彼らを目の前にモジモジしてしまう。これには長い付き合いの夫も気がつくようである。洋服を買う時や、美容院にはイケメン美女はいないでほしい。購買意欲が落ちるし、何より落ち着かないから。何度も頑張って「いや、この皮膚の下はみんな同じ骸骨なのだ」と思ってみたりしたが、無駄だった。頭の中で皮膚を剥がせない(グロいし!)これが「人は見た目が9割」の結果か。それでもイケメン外人がたどたどしい日本語を話すとカッコいいマスクが剥がれる(失礼)。逆にふつうのルックスの日本人が綺麗なアメリカ英語やイギリス英語を話すとカッコよく見えるものである。少なくとも私の頭はミーハーなようだ。

 

私は外人から見るとすごく幼く見えるよう(17歳だと思われる)。仕事でアメリカチームやシンガポールの上司になめられるのも、ルックスのせいかもしれない。でも毎日このキューピーボディを引き締めるためにYogaを続ける私である。Yogaをやっている間は自分を美人と勘違いできる(主に鏡に映るレギンス姿のお陰)。しばらくは続けるつもりである。