パティシエの夢と仕事とパリ
今までの私の人生に迷いなんてなかった。
自分で全部決められると思っていたし、自分の選択は全く間違っていないと思っていた。
その根拠のない自信は、色々理由づけできる。
私の祖父母が初孫としてお姫様のように可愛がってくれたこと。
2歳で原因不明&病名不明の腎臓病で死にかけたこと。
小学生時代は大の勉強嫌いで、教育熱心な祖母におバカ扱いされたり、数学が極端にできないことで父にアホ扱いされるも(父によると「バカは治らないがアホは治る」とのことで)、中学生時代に学力覚醒、仙台の進学校の入試を突破できたこと。
中学生時代はイジメを受け四面楚歌の状態だったが、皆勤だったこと。
高校時代は担任の先生に「合格は無理だ」と言われた大学に進学できたこと。
とにかく、落ち込んでは這い上がる人生を歩んできた(と認識していた)私に、迷いはなかった。
大人になったらパティシエになる。
まずは製菓学校に入って、その後はフランスで修行。
その後修行先で出会ったフランス人と結婚して、一緒にお店を開くんだ!
社会人2年間でまずは製菓学校の学費を貯めた。
社会人3年目、土曜休日の仕事になった。
ついに憧れの製菓・調理専門学校、ル・コルドンブルーの製菓課程に入学した。
土曜一日の授業構成はこんな感じだ。
午前中がシェフのデモンストレーションによる作り方の解説で、午後は各自一台ずつケーキを作る。
作った後はシェフに出来上がりをチェックしてもらい、味見をしてもらう。
どの生徒も大体は
「仕上がりが汚い」
「不味い」
などなど、素っ気なくこき下ろされる。
同じクラスの生徒と更衣室で慰め合い、次の授業まで家でも練習する日々。
自分のケーキがこき下ろされるのは気分良くなかったが、でも毎週、夢に一歩一歩近づいている気がした。
毎週学校で一台、家で練習用に一台作り、それを夫と私で消費。
体重は2キロ増え、バターたっぷりのお菓子の消費で顔はニキビだらけ。
でも全く気にしない。
なにせ夢を追いかけているのだ。
クラスメートの中には上級クラスが終わって学校を卒業したら、フランス修行を考える人がいた。
製菓学校の方でも期間限定で修行お試しを斡旋していた。
有名ケーキ屋で、参加費を払いながらではあるが、1ヶ月修行させてもらえる。
それに参加するには、自分のオリジナルケーキを作るという卒業試験で上位成績2位までに入らなければいけない。
自分で修行の世界に入るのは人生の大決断だけれど、期間限定で、しかも学校がおススメする修行なら、やってみたい。
しかし上位2位に入れなかった。
冷静になれ、自分。
ここでうまくいかなくても大丈夫なはず。何とかなるさ。
卒業後、即効フランスで修行を始めたクラスメートに話を聞いてみると、フランス語が分からない時は同じ修行仲間のフランス人にからかわれることもあったよう。
でも、高い棚にある材料を取る時などは助けてくれる。仕事仲間とお互いふざけあったりしながらの仕事は楽しいとのこと。
彼女は最終的に、同じ職場で出会ったイギリス人と結婚することになったようである。
私はどうするか。
コルドンブルーの先生たちも、ケーキ屋をやるなら修行は当然、というスタンスだった。
しかし、ネット、新聞、本や雑誌で調べれば調べる程、劣悪なパティシエの職場環境。
5:00出勤の0:00上がりもざらではなく、かきいれ時のクリスマス前は1週間職場に泊まる。
フランス修行の場合は7:00出勤の19:00上がりで、まだマシ。それでも12時間労働だ。
大抵のシェフは10年間ほど、複数の修行先で修行後、借金をして自分の店を開くようだ。
開店後、黒字になって成功するかは未知数。
修行している間の給与は、もちろん新卒程度。
社会保険を整えている、就労条件の良いケーキ屋に就職するのは必須。
ここで前職、新卒時代に学習塾勤務で苦労した経験が頭をもたげてきた。
13:30出勤、21:30退勤が基本。
しかし、中学生の授業が21:15に終わるため、また、正社員は派遣社員が仕事を終えてから戸締りをして帰る事になっているため、21:30に帰ることができるのは稀。もちろん自分も仕事があるから、大抵は23:30上がり。
運が良ければ22:30上がり。
一人暮らしのアパートまで電車で25分。帰って夕食を食べて休憩、午前1:00に就寝。
次の日は9:00過ぎごろ起きて、自分の担当する授業の予習だ。
大抵は2時間授業×2コマだ。
先輩社員が本社で作ってくれた授業マニュアルもあるものの、多少自分でも調べなければ授業で上手く子供達に説明できない。稀にマニアのように物知りの子供がいるものだ。
授業準備はやろうと思えばいつまでもやれてしまう。
より良い授業のため=子供達のため。
でも、あまり自分を追い込むと今度は自分の時間が取れなくて、自分の仕事のストレスが溜まる。だからある程度準備したら一旦やめておく。
しかし、準備をやりきらないことで罪悪感を感じた。
新卒で体育会系の教育を受けたこと、現場では仕事ができないことを叱られてばかりいたことで「もっと頑張らなければ」という気持ちが加速。
自分の時間と生徒のための時間を天秤にかける日々。
ベテランの先生からすると、本当に大したことのない授業をやっていた。
休日は思いっきり遊ぶようにしたが、勤務日に犯したミスについて上司から連絡がくる。
「今、◯◯なんだけど、これ、どうなってんの?ちゃんと子供/親に連絡行ってるんの?」
10年経った今でも思い出すと胃がキリキリする。
この仕事を続ける自信がなかった。
パティシエ修行ももしや、また学習塾時代みたいになるのでは。
いやいや、そんなことない。
今はちゃんと仕事できるし、世間知らずからは脱却したし、職場だって色々だろ。
でも、低い給与で長時間働き続けるのはいいの?
いや、良くないけど、、、というか、今も低給料だけど、、、
今と同じか、もしくはもっと給与下がっていいの?
自分の時間取れなくていいの?
10年働いて、まだ開店資金たまらなかったら、どうする?
借金したいの?
いやです。
奨学金は返したっけ?
いや、まだ、、、
そもそも、コルドンブルーの中級・上級コースは親にお金出してもらったよね?
あ、はい。
このまま何もしないで終わらせていいわけ?
えええと、、、
頭の中で延々と自分と議論。
頭の中では、ひたすら自身に鞭をふるう自分と、自分の進路を迷う自分がいた。
結局、迷う自分が勝った。
下した結論は
「今は修行はとりあえず保留。
一旦会社勤めを続けて、その間にコルドンブルー時代の製菓の腕を落とさないようにして、開店資金貯まったらまた考えよう」
そうこうしているうちに今から2年前、夢を応援してくれていた祖父が亡くなった。
「ヒロコちゃんがお店を開いたら、おじいちゃんがレジを手伝うね!」
葬式では、初めて会う祖父の親戚から
「あー、あなたがパティシエを目指している子ね!あなたのおじいちゃんが「孫はパティシエになるんだ!」って胸を張っていたわよ」
と言われた。
もうおじいちゃんが私のお店を見ることも、一緒に働くこともない。
私は一体何をしているんだ?
私は外資系IT企業でアジア地域と日本の人事の仕事をしていた。
有給は取りやすいが、業務範囲がアジアと日本であるため、結果的に業務量は日系企業勤務時代の3倍。
給与は若干上がったが大手銀行の新卒並みとも言えなくない。
月給を勤務時間で割ったら、、、それは考えたくもない。
上司や先輩は外国にいて、1人でオフィスに座って仕事。
気楽に仕事ができたが、上司が隣にいないため、上司は直接私の仕事ぶりを見ていない。
私の業務量は当然上司からは見えにくく、私が溢れる業務量に押しつぶされていても「みんな忙しいんだから、あなたも頑張って」。
仕事相手の役職者から理不尽な要求を突きつけられても、上司は隣にいないのもあって、守ってくれない。
日系企業のように毎年昇進・昇給が保証されているわけではない。
開店資金はまだ貯まっていない。
鬱寸前だった。
夏休みだけを考えて必死に業務をこなしていたところ、夫からLINE。
「来年の春、パリに転勤になった」
迷いはなかった。
「私も行く」
私の夢を知っている友人や両親は喜んでくれた。
「ついに本場でパティシエ修行ができるね!!」
それは、、、、
しないかもしれない。
でも、本場のお菓子に関わり続ける事で、何か見えることがあるかも。
何かできる仕事を作れるかも。
パリのベーカリーにはカフェが併設されていたり、お惣菜やケーキが並んでいる。
フランス語でのオーダーは住んで2ヶ月経った今も、気合いがいる。
気合いがない日は家に籠って、パリの生活をブログに綴っている。
買ったケーキや作ったケーキはインスタグラムに載せる。
よおし、頼むぞ!
どれどれメニューは、、、
サンドイッチにオムレツ。
ステーキにパスタにピザ。
スープ。
ガレットにクレープ。
ホットチョコレートにコーヒー。
デザート。
全部単品オーダーか。
あああ、なんでデザートをメインにしてくれないわけ?
そんなにボリューミーなサンドイッチやプレートはいらない。
山盛りのデザートとちょっとのおかずでいいんだけど。
夫と時々パン屋に行って、朝食のパンを買う。
夫はプレーンのクロワッサンか、チョコレート入りのデニッシュ(パン・オ・ショコラ)。
私はパンをスルーして、プリンタルト。
店員のおばさんが若い男性店員に
「ほらあ、朝からプリンタルトをオーダーするお客さんもいるでしょう!ちゃんと準備しておきなさいよ!」
はい、私がその珍しいお客です。
私の頭の中の夢見る子供が、今日もお菓子を求めている。
何よりも。
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